轆轤で作った器をさらに形を整えます。

京都の取引業者の要求は「同じ寸法」かどうかに厳しいのだそうです。
例えば五脚で一組だとすれば、その各々の大きさにばらつきがあれば、卓上に並んだ時に、何かちぐはぐに感じるかもしれませんね。
でもこれらの茶器は一つずつで使われるものですから、「違いがあってもいいのになあ。」

無造作に、雑に作って形が不ぞろいでもいいという意味ではなくて、手で一つ一つ作るのだから、そこに味になる違いがあっても良いのではないかという事なのですね。
そうでなければすっかり機械で作ればいいわけですから。

「機械で作ると肉厚になるんです。それは作るときにかかる力に対して一定の強度が必要になるので。で、いくらか重くなるのです。」
「手作りの場合は薄く作れますし、作るときの条件、例えば空気の乾燥具合とか土の含有水分率とかで微妙に指先の加減を変えるのです。それが機械にはできない。」
「機械で作られたものは重くなります。」

陶芸に興味のある婦人がずいぶん細かな質問をされます。
それに懇切に答えていきます。

京都には焼き物に適した土がないのです。で、各地から集めるわけです。都ですから器に対する需要はふんだんにあるわけですし、また、そこから土の購買力もあるわけですね。で、信楽とか備前のように地元に産する土の焼き方・火の具合で表現する焼き物ではなくて、焼いたものに色付けをする文化になったのです。
絵師もたくさんいますし、華やかな絵柄や色遣い、金彩のような豪華さも支配層、富裕層に好まれます。それに絵柄についての教養を持つ人も多いわけですね。
都人は、私のように「四君子」などと言われても何のことやらわからないという田舎者とは違うのですね。

手前に写っているのがるのがこの方のおじいさんの始めた絵柄なんだそうです。


私(蒼樹)は共謀罪法案の成立に断固反対します。
- 2017/05/03(水) 00:00:19|
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