何故なんでしょうねぇ。
私が時々見せていただくあちこちの写真展で人物を対象とした作品はごくごくわずかしか見ることができません。
もし、あったとしても舞妓・芸子の写真とかプロのモデルを写したものです。
なぜこうも人が撮られないんでしょうか? 不思議でなりません。
こんなに魅力的な被写体なのに・・・・・どうしてでしょう。
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腰をかがめたくらいでは撮れない角度に『絵』がありそうなとき、どうするか。
皆さん色々工夫されるんでしょうね。
カメラにもそういう時に対応できるものがありますね。
私は寝ころびます。

足腰の強う時には相当低く構えられたのですが、今では無理ですね。
ですから腹ばいになったり仰向けになってしまいます。

そのほうが安定してしっかりと対象を見られるように思います。
そして望遠系のレンズで撮るよりも、50ミリで自分自身が寄る方がいいように感じています。
無論、135とか200とかで撮ることにも挑戦しますが。
遠くから撮るという事は脚立とかがない限り「見る」角度に制約が大きくなりますから。

そして、ある意味でいくらか対象に対しても「迫る」感を与えます。
そしてそこに撮る側と撮られる側との間に濃密さを作っていきます。
「つい顔を作っちゃうなあ。」などと・・・・この方も…言われますが、職人さんが一番作りたい「顔」は集中し緊張感のある良い仕事動作です。そこが肝心なところです。
表面的な言葉では「いい男にとってや。」と言われますが、職人としての気概は手指の動きとか道具の走りの「いい男ぶり、女ぶり」です。
単純な「自然な表情がいい」派の人たちと、私の考え方の違う点かもしれません。
いいピッチャーにしか好打者のいいバッティングは引き出せない、という事だろうと思います。
そういう意味でこちらが「いい撮り手」たらんとすることが重要なことだなあと感じています。

撮られる側の人は、撮る側の押したり引いたりによって「引いたり押したり」してくるのですから。
そのことでその人の持つ一定の高揚の中でしか生じてこない良質なものを出してくれるのではないかと思います。
見たままありのままに撮るというのは、私の場合はちょっと違うなあと思います。
普段の路地などに生活する人々の表情を撮るときなどは、また違ってきますよね。

人を撮る=自然な表情を撮るのがベスト という式の外にもよい写真はあると思います。

私は半分観光用の公開実演でも職人さんに対して、例え短時間でも本気になっていただけるような関わり方をしたいなあ、そういう姿勢で撮りたいなあと・・・・思うこのごろです。
- 2017/04/15(土) 00:00:37|
- 陶器
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