機会があって出会った人に私の撮った写真を見ていただくと「職人さんたちのうちこむ表情がいいですねぇ。」とおっしゃっていただくことがあります。
たまたまそのファイルにそうした写真が多いのもその理由の一つでしょうが、高度な技を持った方たちに対するある種のイメージも働くようです。

そうした高度な技を…外見上・・・・淡々とやすやすと見せてくれます。
いちいち最大限に緊張して、やり遂げられるかどうか・・・・と固唾をのむように仕事をしているようでは、職人ではないのかもしれません。
ある意味で「ルーティンとしてこなしていけるほどに身体化した技能」ということになるでしょうか。
野球のイチロー氏のバットコントロールのように。

考え、意識していたのでは間に合わない世界だろうと思います。
前にも書いたように「意識の無意識化、無意識の意識化」ということがやはりカギですね。
写真も同じだろうと思います。

そこで大事なのは、まず「無意識の意識化」です。
ここがまず難しい。その意識化のためには科学的知見が必要になります。
そこが私には弱い。

さて、いろいろお話しているうちに、ある工程を一周やり終えてから、次へと進むステップを「道具と作業の様子」の紹介として、一か所で次々と進めていただきました。
道具の数ほど工程がある、いえ、加工の違いによって道具が生まれるという事でしょうか。
加工が複雑になればなるほど道具が増え、道具によってさらに難しい加工が可能になる。
まさに弁証的発展過程だなあ。
彫る彫刻刀ではなくて、山の背に凸のアールをつける彫刻刀です。

そして今度はその山のラインが反るように形成しています。
そしてまたアールを調整して・・・・・・。
- 2017/04/11(火) 00:00:07|
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