上賀茂の手作り市は出店の場所によってとても寒いところと日当たりが良くて暖かいところの差が大きいです。
(夏は、だからとても涼し場所と酷暑のところができるという事ですね。)
主催者が出店場所を指定します。

一方、百万遍・知恩寺の手作り市は「自由競争」で場所取りです。
「自由主義の弊害」が露骨に表れているケースもちらほら見られますね。
自由がそのまま公正公平になるには「自由を「放任」してはいけないということがよくわかります。

小さなお子さんにそそぐ眼差しはやさしく暖かいです。
ふと自分はどういう顔をしているのだろうか、と考えます。
でもそんなとき鏡を見るわけでもないし、写真を撮ってくれる人がいるのでもない。
そうなると自分の普段の表情、人に向けるまなざしを自分で知ることはできない。
そういう意味でも写真を撮るという事には意味があるのかな・・・と。

手作り市に来て出店者やお客さんを見ていると人生の様々を思う。
実にいろいろな人生が出会っているから。

私自身は「市」に来ているにもかかわらず「買い物」も「販売」もしない。
ただ人探しに来ている。
もし人あって分類するならば「雑」に入れられることだろう。

何がどうしてだか知らないがお馴染みさんからはいつの間にか「センセイ」と呼ばれている。
「センセイ」と言われるほどのバカでなしと言いたいところだが、「八目」のアドバンテージは無論のこと何の役割も果たさない「岡目」である。野次馬である。
それで、せめてのことに、ぱちりとシャッターボタンを押して人々の人生の行き交う場所に一点を記すのである。

先日中国から日本に留学に来て大学の4年間を無事終えて卒業した学生に会いました。
「恩師」に報告をしてくれたという訳です。
彼らに初めて会ったのは5年前で、その翌年に大学に入学しているわけです。
それが早卒業ですから、常套句的な思いですが「時の経つのは早い」としみじみ感じます。
人生にはたくさんのページがあり時間を追ってエピソードが時系列に並びますが、こういう事もやがて訪れすぎていくことは避けられないことですね。
それにしても彼らからはとても大きな宝をいくつももらいました。
さて、
- 2017/03/31(金) 00:00:32|
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