このギャラリーでは比較的若い方たちの作品を見せていただく機会が多い。
今回も院1回を終えようとする若い方たちです。
この方は油彩で抽象画を描かれています。

私は前から抽象画についてわからないことがありますので、問いかけてみます。
さすがに院で学ぶだけあって問題を正面から考えておられました。

そしてやはり、私の様に制作実践の無いものでは想像がつきにくい、制作の中での感覚体験があるようです。

写真でも同じなんでしょうね。
入門書などでは構図について三分割や黄金比のことを説明していますが、実際の写真撮影の場面では、大概それらからずれますね。
しかし、だからこそ印象的な写真になるという面があります。そして、それは、そういう基本理論からどれくらいずれるのかは、ファインダーを覗いていると今たち向かっている世界の方から「もう少し右、ちょっと下、それじゃあ行き過ぎ・・・・。」みたいに教えてきますね。

でもそれを聞きそこなったり、既存の枠組みに自分自身が押し戻したりして、「残念でした!」という結果に・・・・私の場合は・・・・なるわけです。

こういう学生さんや若い作家たちは「大家」と違って、制作上の経験や感覚、あるいは自分の試みや、その成功・失敗について率直に語ってくれます。
それがうれしいですし、私にとって良い勉強になります。

私が絵画や彫刻の専門家でないから、彼らとしても逆に話しやすいのでしょうね。

かつてロッキード事件の時に国会で証人喚問があって、証人と議員とのやり取りがテレビ中継された。それで、口から出る言葉が嘘か本当か「あの表情を見ればわかるよ。」と国民の多くは感じた。それで「人権を守る」という理屈で中継はしないほうがいいのではという事も言われた。それを言った人たちが何を誰を守ろうとしたのかは問わず語りの話だ。
今回「瑞穂の国記念小学校」(この命名がおかしいと思いませんか。瑞穂の国というのは大和とか大八州とかいうのと同じでしょ。それは「記念」するものでしょうか。「瑞穂の国小学校」でいいんじゃないでしょうか。日本大学とか亜細亜大学というのもあるんですし。もともと「安倍真相記念」にするはずだったから、しばらく待てと言われて、あまりに残念なので思わず「記念」が残っちゃったんでしょうね。人間の心理ってこんなところに現れるんだと私は推察します。)
にかかわる問題で、政府自民党の思惑で、籠池氏が参考人としてでなくて一挙に証人として国会に呼ばれた。
NHKはちゃんと中継するか怪しかったけれど、ともかく中継されてかなりの人たちが固唾をのんでテレビ画面を見ていたでしょう。
籠池氏は瞬きこそ多めでしたが、しどろもどろにもならず冷や汗三斗の様でもなく証言していました。
例えば安倍昭恵夫人にかかわる問題でも、彼が敬愛してやまない安倍晋三政権にとっても打撃だし、彼が直前まで属していて、そこから大いに激励支援してもらった日本会議の悲願である天皇万歳・八紘一宇的復古主義小学校の建築がとん挫するのを覚悟して、100万円寄付問題について話した。だって政権に逆らっちゃ小学校は実現しませんよ。
「嘘だと偽証罪に問われますよ。」と幾度も確認されたうえで発言している。その時の籠池氏の表情を多くの国民は見たはずです。
自民党は「これで一件落着だ。」としたいようだが、そうはいくまいと思います。
「カギ池はでたらめなことをまくしたてるうさん臭い変な男」だという「印象操作」が盛んに行われましたが、そういう面があるには違いないが、そうとだけも言い切れない面があるなあとも感じられたのではないでしょうか。少なくとも私は…主義主張は極めて大きく違いますが・・・・そう感じました。
大阪府知事も、あそこまで名指しされたら黙ってはいられないでしょうしね、・・・・普通は。
維新議員A:「はしごをかけたのは誰ですか?」 籠池氏:「私です。」
維新議員A: ということは、自分で掛けた梯子に自分で登って落ちたんだ…松井知事を責めるのは筋違いだと言いたいのでしょう。
維新議員B:「松井大阪府知事がはしごをかけて、それにあなたが登ってあなたが勝手に落ちたんじゃないですか?!
…落ちたことの責任を松井大阪府知事に転化するのはお門違いだ、と言いたかったのでしょう。
維新の議員が「はしごをかけたのは大阪府知事松井氏(維新)だ。」と認めちゃった!!
籠池氏は小学校を作ろうとしたのは自分だし、いろいろと手蔓を探して実現方よろしくと頼んで周ったのも自分だと認めて「はしごをかけたのは私だ」と言ったのでしょう。
そうしたら松井知事がそのはしごが『手掛かり』に届かないほど短かったので、その手がかりの位置を下げてくれて梯子をかけられた。やれうれしいと思って登ったら風向きが変わって、松井氏がそのはしごを外してしまった。という事だろう。
復古的小学校を作りたいというのは安倍氏も、松井氏も、籠池氏も、鴻池氏も、稲田〈椿原〉氏も同じで、共に頑張ろうとしていたまさに同じ穴の「同志」だということが事の本質だろうと思いますね。
講演に行った時に園長室で、籠池氏と二人になった時に「一人にさせて」悪いですねと言ったのは、表立った場所で孤軍奮闘させて悪いわね。主人も私も日本会議の人も応援しているからしっかりね。これ主人から。応援してますからね。という事じゃなかったのだろうか。 そう考えたほうが筋が通る気がする。
- 2017/03/25(土) 00:00:05|
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