高校時代の旧友から電話があり「君が写真を撮るようになったのはなぜなんだ?」との詰問がありました。
「哲学少年、哲学中年、そして哲学老人。(それが君だと思っていたのになんという変節ぶり!)」という事でした。
従弟たちの反応もまた同じようなものですね。
まあ、そうした人たちの思うところも理解できないわけじゃなくて、ごもっともと答えなくてはいけない面があるのですが。

私のブログにお付き合いいただいている方にはお分かりの通り、私がそれなりに「哲学写真愛好者」だということをわかって頂けると思います。妙に理屈っぽくてくどくどしい文章を書くところなど。
ただ、「人間にとって最も本質的なものは人間である」とK/マルクスが引いているように、その人間に関することに常に哲学の触手を伸ばすのは哲学の使命ですからね。
しかし、彼に言ったのですが「僕は研究者タイプではなくて、市井の実践者だからね。」と。

彼には納得しにくいようでしたが・・・。

リタイア後の三期五か年計画の話をしたら、「自分の計画は・・・・。」と話し始めましたが、私の周囲にいる人は彼を含めてどうもみんなまじめですね。
いえ、無論、肯定的な意味で言っているのです。

「まじめ」だとからかわれたり、面白くないと疎遠にされたりする傾向のある昨今だからこそ、「まじめ」は大切にされるべきだと私は思っているのです。
私が撮っている方たちのほとんどは皆さん基本的にまじめな方たちばかりです。
だってそういう人を選んでいるのですから。

人を小ばかにしたり、笑いものにすることが大手を振り、『うまくやる』のが成功者の秘訣のように言われたりして、またそういう者が何か物を言うに足る者だとしてちやほやされることに対するアンチがこのブログの隠された趣旨なんです。

ですから、旧友たちよ。どうか大目に見てやってください(笑い)
- 2017/03/22(水) 00:00:57|
- 工芸
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