京都アートフリーマーケットにはこんな方も出品・販売していました。
「刀鍛冶」ではなくて「刃鍛冶」の祥啓さんです。
刃物は切れ味はもちろんその形状の不思議な美しさで根強い人気があります。
鉛筆を削らなくなった子供たちの指の巧緻性の低下、手足と目と脳との協応の弱さなどがいろいろに議論されていましたが、いつの間にか下火ですね。こういう人間の発達に関する議論を一時的な流行で終わらせるようだと、相も変わらず底の浅い日本文化という印象をぬぐえなくなります。
菜切り包丁から布の裁断用の刃物などまでいろいろな刃物を製作しています。
手前にあるのは無論、砥石ですが、我が家の、砥石は眠ったままです。研げば切れ味は格段と良くなることは分かっているんですがねぇ。

いまされているのは小刀の柄の部分に滑り止めの糸を巻きつける作業です。
この小刀は「余った素材を活用して何に使うともなく作った小刀が案外好評で・・。」ということだそうですが、こういう小さくとも切れ味のよい刃物はプランターの剪定や荷造り紐のカットなどに重宝すると思います・無論紙を切るのにも心地いいでしょうね。

刃物は「刃」のある方と峰の方の異なったラインが合流していくこのフォルムが魅力です。
そして鍛えられ研がれた金属の光沢。

切っ先に凝る緊張感もいいですね。
「切れる」「断つ」という危うさが籠っているところに魅力があるのかもしれません。

今は10センチほどの小刀をあまるほどの大きさの手で糸を丹念に巻いていますが、マグロを解体するための長尺の包丁を鍛えたこともあるそうです。その難しさを語ってくれました。
鎌倉期から室町期には「日本刀」は素晴らしい領域に発達しますし、戦国時代には武器は大量に生産されました。その刀鍛冶の力はポルトガル船が伝えた火縄銃の砲身を数年後にはそれ以上の性能で自作してしまうほどのものでした。信長などが使った鉄砲は射程距離、命中精度はもちろん、その耐久性においても世界ナンバーワンだったそうです。その背景に刀鍛冶の鉄を鍛え加工する技能の力がありました。

あいまいな記憶ですが、鎌倉・室町期には日本刀は広く海外の需要にこたえて輸出されたわけですが、中国に大量に輸出されたはずの日本刀が見つからないのだそうです。その不思議を探求した結果、「日本刀は中華鍋に変身していた!」のだそうです。素晴らしい!!
日本もせっかく円高なんだから世界から戦闘機やらミサイルを買って、それをみんな民事需品に作り変えてしまえばいいのに。それこそ国際貢献だ、と私は思う。
・・・ああ、それなのに前原某という京都選出の民主党幹部は「武器輸出」拡大に血道をあげています。日本を再び「死の商人」の道に連れ込もうというのです。・・・
- 2011/10/17(月) 00:05:12|
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