先日、郷里にいって、久しぶりに従弟たちの顔を見てきました。
幼児の頃から育った地にはお隣のおばさんが、まだ健在でおられて、おそらくはこれがお会いする最後の機会になるかなと思いました。いやあのお元気な様子では案外私の方が早く逝ってしまうかも知れないし、存外これからも幾度かお会いできるかもしれない。
時はある意味で残酷に過ぎていきます。
私を形成してくれた様々な方々と、既に、そして、いつかはお別れしなくてはなりません。
いくらかの写真を撮ってきました。
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私は、ごく若いころからのものも含めて、自分の写真がわずかにしかありません。(万々が一、私の「伝記」を書くという奇特な人が現れても、その方は随分困ることでしょうね。)
家族を撮る機会も少ないし、まして(撮る側であることが多いので、)自分自身の像はあまり残っていません。
でも、こうして1000余人の方々を撮って来たものを少しばかり遡りますと、いろいろな思い出がよみがえります。
まあ、それが私自身の間接的な残像ということになるでしょうか。

この人たちにとっても、これらの写真が良い思いでの材料になるといいなあと思います。

過去の記憶を呼び起こすうえで写真ほど力のあるものは少ないですからね。



自衛隊が南スーダンに派遣されて、そのうち帰国した隊が提出した現地の日報が紛失したそうな。
それで国務大臣たる防衛相が国会でも質問に答えようとしたら、「もう捨てられちゃった」のでないんですと答えた。
国会で「隠すのか!」と詰問されると、いやそういう訳じゃなくて規定に従って取り扱っているので問題はないのだという。
しばらくしたら全く廃棄されたというのではなくて「どこにあるのかわからなくなっていたけど、皆が知らないあるところで見つかったので・・。」としっかり一か月も墨塗りをしたモノを出した。その間、自衛隊=軍は所管たる防衛相も国権の最高機関である国会にもひた隠しにして作業をしていたそうな。それで防衛省は「だから私には責任はないのです。」というばかりで、「文民統制に反する重大事だ!」として激怒して責任者を処罰し原因を究明するようなことは寸毫も考えない。そりゃそうだ。見せたくないのは軍も、いやむしろ政府の方だから。本当に無くしたとするとこんなずさんな組織では話にならない。幹部は責任を取れ、自衛隊は点検すると突込まれかねない。だからちょっとしたうっかりミスで「メンゴ」で済まそうとする。一方違憲だと批判しにくい程度には墨塗りをして国民の目を欺こうとする。
この南スーダンへの自衛隊派遣は重大な異議・反対を抱えての派遣だった。それだけにありとあらゆる事実資料に基づいて「やって良かったのかどうかを検証」する必要がある。
政府としては、「ほら、やっぱり世界平和と国際貢献に大きな成果を上げた」と大手を振って出せばいい。
それを姑息なやり方で隠ぺいするのだから、派遣条項に抵触する事態なのだということを却って明らかにしている。
隠ぺいじゃないとするなら防衛相も総理大臣もこの事で軍当局に対してまともな批判も非難もしていないのはなぜか。それ自衛隊が政府の意図に沿って・・・恥をかいてまで・・・・隠してくれたのだから当然だろう。
この問題は「文民統制」がきいていないという大問題・・・なのか、それともかつての近衛内閣のように軍より好戦的な政府に問題があるのか。
それにしてもこの重大な問題をマスコミ各紙もTVもちっとも継続的に取材・報道しない。
根も掘らなければ葉も掘らない。
他国の権力争いのなかで犠牲になった金正男?の事件についてはまるで事件の当事者のように微に入り細に渡って繰り返し繰り返しその背後関係まで伝えている。たくさんの解説者が欣喜雀躍として口角泡をためている。それだけの熱意と時間を「見つかった?」日報問題に当てることはない。それは問題の重要性が軽いからなのではなくて、むしろ現政権にとって致命的に重要だからだろう。
「共謀罪」の問題は、かつての治安維持法の制定経過によく似た国会議論がなされている。
自衛隊の日報問題は、その政治の流れの中で見なくてはならないものだろう。
あの時にマスコミがどうしていたのか。新聞も雑誌もTVやラジオも、もう一度振り返ったほうがいい。
無論、我々一般国民もだ。
- 2017/03/01(水) 00:00:30|
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