全く、人の出会いとは不思議なもので・・・。(と、ファインダー倶楽部の新年会で会長さんがおっしゃっていましたが、その通りで。)
この人がとあるギャラリーに関心を持っていて、ある時ふと意を決して中に入ると、そこでは鈴木画伯が個展をされていて、その画伯が、この人をみとめて絵のモデルにした。
それで、私が画伯の作品展のパーティーに参加した折に、「この人は鈴木氏の絵のモデルをして、ほら、あの作品となった人。」とギャラリーのオーナーから紹介をされた。
「絵のモデルをしたんだから写真のモデルもどうですか?」とオーナーが言い・・・。
その人が今私の目の前にいる。

言うまでもなく?プロのモデルではない。
可愛いごく普通のお嬢さんだ。
ただ、鈴木画伯も認めたある種の雰囲気を纏っている点で、他の人と区別される。
だからと言ってカンバスやレンズの前に立つことになるかどうかは決まった話ではない。
そこがまた不思議なことだ。

この人自身が、そういう評価を受けることに「そうなんだろうか?」という幾分の戸惑いを抱きながら立っているのかもしれない。
言えることは、できた絵や写真を見て、綺麗だとか可愛く描かれているかどうかとかいうのとは幾分違う感想を持つことができるという人であること。そのことで、こうしてカメラの前に立つ条件を備えていると言える。

和服を着てくれたらありがたいという注文に「では、着ましょう。」と答えてくれて、今日それが実現した。
どうやら普段から着る機会の多い人らしい。弘法さん北野さんで「古着を物色する」ことも度々あるらしく、街に遊びに出るときにも和服でということが珍しくないのだそうだ。
こうして撮るととても若い人なのだが、私の写真ではいくらか年上に写ってしまう。(いや、撮ってしまう。)

私は撮影していて、時に「ああ、高校生の時にしたかったことをしているんだなあ。」と思うことがある。が、しかし、現実は「寄る年波」の影響を受けた感性で撮っていることは間違いがないので、それに応えてもらうには「誰でもいい。」という訳にはいかないのかもしれない。

今日は日差しがあるとはいえ、和服は開口部が大きくて寒い・・・・はずなんですが。
聞くと、実はいろいろ秘密があるらしいのです。それはやはり普段から着ている人の知恵なんですね。
その「着物裏事情」を聞かせてもらって、「寒い思いをさせてはいけないという気持ちが少し軽くなる。

シャッターとシャッターとの間には微笑んだり、冗談を言い交してもいるのですが、レンズがむけられた瞬間・・・・。
私が「笑って・・・」という写真を撮らないものですから、なお一層・・・・。
もう少し機会と時間が必要でしょうか。
- 2017/02/14(火) 00:00:18|
- 絵画
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