院の研究室の取り組みのようです。
度々「(指導教官名)研究室」の名前が出ていました。

中国には美人が多いですよねという私のいつもの話に、「そうですね、私の周りにもたくさん美人がいました。
私の住んでいるところは盆地で、曇りの日が多いのです。それで日に焼けることが少ないので色白の人が多いんです。」とも。
それじゃあ、是非この人の故郷を訪ねたいものだと思いました。
写真は色かぶりしていますから、それと分かりにくいかもしれませんが、この人もとても色白の方です。

私は、先にここに来ていた知人のギャラリストが戻ってくるのではないかと話を引っ張っていたのですが、ついに戻らず。
でもそれで却って楽しい話を聞かせていただけました。
たまたま、以前から知り合いの留学生の卒論が中国からの留学生の留学動機や、事前の準備の違いによって来日後の心理的変化や学業に向けての姿勢にどのような変化があるのかという研究でしたので、その関心からもお二人の話は興味深いものでした。

それにしても京都という町の特性上、学生に触れる、あるいは留学生に出会う確率は比較的高いのでしょうが、海外から日本に来て学んだり働いたりしている人は、ずいぶん多いのだなあと直感します。
そして、こうして海外から来ている人の感性、知性に直接触れる機会があるという事はとてもありがたい、よいことだなあと思います。

留学生としての 「先輩」が現れて、「一緒に撮ろう。」
三番目の人は東北地方の出身だという事でした。

アメリカでは大統領令について裁判所が待ったをかけているそうです。
日本では内閣法制局も憲法学者の圧倒的な大多数も内閣による「憲法の解釈改憲」の限界についての見解が安倍政権との間に大きく乖離がしていたにもかかわらず、裁判所はピクリとも動きません。訴えがなかったわけではありません。政権与党に弱い裁判所が門前払いをしているのです。
アメリカの政治の在り方については一面大いに疑問を持つ私ですが「三権分立」が機能している姿を見ると、彼我の違いについて改めて考え直させられます。
日本の裁判所がいかに「憲法≒人権の番人」の役割を消極的にしか果たしていないかを思わされます。
- 2017/02/09(木) 00:00:46|
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