一言で「マンガ」と言っていいのか、それを読むしか能のない私にはよくわかりませんが、この分野の奥行きは一段と深まっているように感じました。
交差点で信号が変わるのを待っていた私の目に一つの光景が飛び込んできました。
道路の向こう側には時々お邪魔するギャラリーがあります。道路に面して大きなガラス窓ですから中が良く見えます。
そこにはおなじみの顔が。
あるギャラリストが先客として、どうやら作家さんと思しき人たちと、歓談中でした。

入っていくと、件のギャラリストは「ここのギャラリーの人に用事があるから・・・・」とすぐさまバトンタッチをされてしまい、それまでの話の流れも分からないままに、・・・。
ギャラリストの方たちは時間を見つけてはこうして、よそのギャラリーや芸術系の大学などを回って、これはという新人作家たちなどを見つけているのです。
この会場は3人展で、在廊されていたのはお二人でした。
いずれも中国からの留学生の様で某芸術系大学の「院」で勉強されているようでした。

別の機会にも見せてもらうことのある若い女性たちのこうしたマンガやイラストの中には、私のような守旧派からは意外なほど豊かな自己表現のツールになっていることがあることが分かります。
自分自身の体験や内面を表現し、人と共感しようとするときに、こうした表現が見事に共通語としての機能を果たしているようです。
ですから同世代の女性も時には男性も作品を囲んで大いに話が弾んでいる風景を目にします。
(伝統的なアカデミックな絵の前でそういう光景を見ることはまれのように感じます。)

このお二人は、さすがに院生です。作画の技量もさることながら、単に絵が描けるというのではなくて何を表現するのかという事の自覚が深いです。
「中国では日本のコミックやアニメが喜ばれていますから私たちもたくさん見てきました。」
「コナンやワンピースなどですね。」
日本語もそうしたコミックやアニメを通じて学ぶ人が多いようです。

日本に来て数か月間の日本語教育を受けて入学。日本語はとても上手です。
「・・・・という言い方は分かりますか?」と時々確かめながらの会話ですが、片方の人が「?」だと、もう一人が中国語で解説。
二人、三人が相手だととても便利です。
私が長くお付き合いしている留学生なども、メールの中であえて難しい表現や言葉を使ってあげると、すぐさま辞書を出して確かめます。
この人は広州出身だったかな。
- 2017/02/08(水) 00:00:15|
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