前回紹介した「撚糸」の方は「御召し」に特化した「撚り」をされているのでしたが、この方は「多様に撚る」ことができる方に特化した方です。
規格的なものを大量にではなく、糸や撚りの仕方にこだわったものを撚ることに活路を開いてきたわけです。

それには先代の功績が大きかったそうで、お父上は「糸には本当に詳しかった。」そうです。京都の工業繊維大学を卒業されて「糸へん業界」に入られた方で、初めは「織り」の仕事をされていたんだそうです。
「それが撚糸になってね。」

お父上はとても職人気質の方で「教えてくれなくて、とにかく盗め」という人だったそうで「一生懸命見て盗んだ」そうです。
「それで、仕事をさせてもらって、できたものを見た父親が何も言わなかったら合格。その時はうれしかったね。」

教えられてできるようになったことと、自分で考え考え試し試してできるようになったこととは違う、とおっしゃっていましたが、そういうことは大いにあると思います。私も共感できます。
「でも今は自分の技術や知識を隠してる場合じゃない。」 そのことでも意見が一致しました。
「西陣を訪ねて、ある(国内の)地域から来た見学者には現場を見せないこともあったんだよ。
でもね、見たからと言って盗めるものでも真似することができるようなものでもないんだよ。肝心なところは指先の感覚や経験だからね。そンなことは盗み取ることなんかできないんだから、どんどん見てもらって関心を持ってもらえばいいんだよ。」
この点も大いに同感するところでした。

先日の撚糸の職人さんは三代前に北陸から京都へ、この方もお父上の時に京都に来たのだそうで、京都の職人の世界は案外伊勢などとのつながりなどもあって、「昔っから代々京都に住んでいて・・・という人は案外多くはないかもしれないね。」
かつての私の同僚が京都の人で、こんなことを話してくれました。
ご先祖が町中から郊外に移り住んで来て、以来ずっと今のところに住んでいるのだそうです。が、周囲のそれより以前から住んでいる人たちには「新しく来た者」と今でも意識されているのだそうです。
その移り住んだ時期というのが応仁の乱頃だったそうですが。
京都は千年の都ということが強調されますが、そう単純なことではないようです。

この機械はあくまで展示用ですのでごくごく簡単なものです。
ご自身の工場ではたくさんの紡錘棒に糸が巻き取られるのを「守り」しているわけですが、見ているだけでなく全身で糸の動き、機械の働きを感じ取っているのだそうです。その時その時に調整しているところに目をやっているのではなくて常に全体に視線を送っているのだそうです。
「音が変わるからね。」それで機械の不調や糸の切れなどは瞬時にわかるんだそうです。

ニットなどの撚りもするので多種多様な撚りに対応できる機械をお持ちなんだそうでが、
いろいろな難しい注文に応じる醍醐味もあるようで、本当に基礎的なお仕事ですがやりがいを持って続けてきたという印象が伝わってきます。

- 2017/02/07(火) 00:00:08|
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