私はこの日、三か所で写真展を見ました。
(そのうちの一つはJPSの関西支部のものでしたが、いつもの通りの感想でした。何だかなあ~、とても上手なんですがそれ以上でもそれ以下でもない感じでした。日本の写真はこれでいいのかなあといういつもの感じでした。)
三つの中で私として一番興味を持ち関心を持てたのがこの方の写真展でした。
イギリスで写真を学んだんだそうです。
日本で写真を学んだうえで渡英したのでも、それ以前に強く写真に関心を持っていたのでもなかったとのことで「イギリスで暮らしているうちに関心を持ち、学校に入った」んだそうで、私のような人間には到底想像もできないような決断ですね。
ジャンル的には「ストリート・フォト」でしたから、まずイギリスでのそうした公道上での撮影に対する考え方はどうなのか、市民の反応はどうなのかが気になるところでした。
撮影は少々時間的にさかのぼるので、今現在の状況は違うかもという事でしたが、「あまり拒否的な反応はなかったと思いますね。」
私は写真の専門的な教育機関では、そういう点をどう教えているのかにも関心がありました。
最低限のエチケットというか節度というか、そういうものをどう考え教えているか。
「技術的なことは教えられましたけど、(いわゆるプライバシーがどうのこうの、肖像権がどうだというようなことは)本人任せで、特にこれといった話はなかったですよ。」
少なくとも周囲からの抑圧的な空気は感じておられなかったようです。
「ネットの普及の前と後では状況が大きく違っているのかもしれませんねぇ。」
一回目の個展だそうで「これからもやっていこうと思っているんです。」とのことでした。
ストリート・フォトでやってもらえるといいなあ。
撮影者が男性か女性かというところでも周りの反応も、受け取り方も違うように思いますし。
私はこれまで書いてきたように、写真を撮る人の中に他の人に対して粗暴粗雑な感性の人が少なくなくて、時に「撮り鉄」の人がやりだまにあげられているのと同談の「人や街を撮る」カメラマンが散見される現状を苦々しく思っているのです。
ですから、そうしたことに対して批判・非難が起こることには少しも異を唱えるわけではないのです。
が、反面、過度に膨らんだ自己肯定や自己防衛の感情があり、他人の視線に対するひどく狭小で自己本位な受け止め方があるのも事実だと思っています。
撮る側がもっている他人に対する粗暴粗雑さと同根の心理なんでしょうか。
この方も現在を「人との関係が希薄になっている」と意識して、上述のようなことを含んで心配されていました。
それで人間同士の関係をもう少し優しく柔らかくできないか、そこに写真が役に立てないかと・・・・。
私のコンセプトと重なるスタンスでしたので心強く思いました。
- 2017/02/06(月) 00:00:02|
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