私は「遠江の国」に生まれたのですが、やがて山城の国の学校に留学をすることにし、卒業後は先進国だった山城の国に職を求め、そのまま帰国することなく、この国に「終の棲家」を見つけようとしています。
「思えば遠くに来たものだ」と感じます。
私の時代は徳川さまの御代とは違い、長崎や京に留学することはずいぶん容易になっていて、むしろ若者は競って他国へ他国へと出ていき、故郷に残る者はむしろ時代の流れから取り残された者とさえ感じられるほどになっていました。
留学を終えて故国に戻るものもたくさんいたとはいえ、私も、相模の国に暮らす畏友もまた故国には戻らない道を選びました。

聞くところによれば、かつては長崎留学などの際には二度と生きて家族には会えない覚悟であり、分かれの水杯さえ交わしたという事です。後顧の憂いを断ち切って学を志せという事でもあったでしょうか。
私たちの世代では、そのような別離の覚悟もなく、まるで時代の流行に押し流されるように他国へ他国へと出ていきましたが、それは又学問に対する決意の希薄化を伴うものでもあったように思うのです。
徳川さまの時代には「お前はなぜ敢えて故国を離れて学びに行くのか」ということを本人も周囲も深刻に思い悩んだそうですが、いまや物見遊山と変わらぬ気持ちで留学するのです。

おそらく現代の「国境」を隔てての留学も、こうした経過の一段階にあるのではないかと思います。
そしてやがては、今、日本国のなかで分国間の移動がほとんど何らの心理的な抑制・葛藤もないのと同じように東アジアや、地球的規模でもおこなわれるようになるのだとおもいます。

それはトランプ氏がメキシコとの間に如何に高層強力な壁を作ろうと、また政治家たちが竹島や魚釣島に摩擦を作って国民同士の敵愾心をあおろうとも、とうとうとして止めることのできない流れになるでしょう。

今、長門の国に行って会津の、会津や庄内に行って薩長の悪口を言っても、酒の席の余興以上にならないないように(いや、それ以上に腹に含む感情を持つ者もことによったらおられるのかもしれませんが)、それを種に本気で激したり諍いをすれば嘲笑されるのと同じようになるのです。

無論だからと言って現在進行形の諍いを、どうせ未来には収まるのだからと言って軽んじ、正義や論理や検証を軽視・無視すれば、それこそ将来に禍根を残すことになるのですが。
しかし、そこにはおのずと「目くじらを立てる」立て方、作法というものも歴史的未来を視野に入れたものがあるはずなのです。
政治家というものはそういうことができる人たちでなくてはならないのです。

「ホロコースト」について「鳥肌が立った」という韓国出身の留学生が、この日本でそれを表現した作品を展示し、日本などの学生と交流している。

すべての事柄には多様な側面があり、一色に評価することはできませんが、私はこうした留学生を未来の「世界」の平和と民主主義の種だと思っているのです。

おやおや困ったことだ。
麻生「財務相は会見で、トランプ米大統領が日本が通貨安誘導をしていると批判したことについての受け止めを聞かれ、『円高による状況を是正するためにわれわれとしては円を、いわゆる金融政策というものを緩和したということをずっと言ってきている』と発言した。」とのことだ。 。(©2017 Bloomberg L.P.)
官僚のサジェスチョンですぐさま訂正したようだが、 彼は国の内外に言葉を使い分けているうちに、どちらがどちらなのか分からなくなってしまったようだ。
「円高是正のために金融政策をしてきた」という説明は、円安に誘導するための金融政策だったということを正直に告白する発言だ。政策的に為替の切り下げをしないということを自由市場の原理として認め合ってきたはず。オバマ政権時から「円安誘導政策じゃないか。」と言われながら、「いや、これはデフレ脱却の景気対策で・・・。」と言い張ってきたのに、トランプ政権の強面に震えて思わず口が滑って本当のことを言ってしまったのか瞬間的に、どっちで言い訳をすればいいのか訳が分からなくなったのか。
何しろナチスのやり方に学んで、国民に対しては言葉を上手に使って騙し、国民が気づかないうちに憲法改正を上手にしたらいいという考えの人間だから、いろいろ言葉を弄して嘘をついているうちに、何が本当で何が嘘かわからなくなってしまったのだろう。
- 2017/02/04(土) 00:00:26|
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