おやおや今日はもう2月一日です。
一年の十二分の一が過ぎてしまいました。
最近こんなことばかり言っています。年の所為でしょうか。
こんなことを感じる私にとって、このブログは一つの慰めです。
というのも、この6年ばかりの間に「1111人以上の方に写真撮影をお許しいただいて、その方を撮ってきた。」ということが毎日の写真掲載で足跡を残せているからです。
功成り名を遂げた人が、形ある勲章というバッチを欲しがり、銅像・記念の石碑などを作りたがるのと、どこか通じる心理かもしれません。
ある種の「確かさ」で私を支えてくれる効果があります。
神仏(かみほとけ)だって具現的な形にしないと人の心は落ち着きにくいものです。

それにしても最初の5年間のペースでいけば今頃は1160人以上の方々の写真を撮っていなくてはいけません。
ずいぶんペースがゆっくりに成っています。
人数を目標にしているわけではないのですから、そのこと自体に一喜一憂することはないのですが、こうした数量的変化をもたらした背景・原因を推察することは、私の人生中のリタイアから6番目のこの一年の質の変化に気づく上でのヒントにはなると思っています。

そこでいろいろの変化に気づき、得たことや取りそこなったことなどを思い浮かべて、残余の・・・・はてさてどれくらいの時間が有るのか、ないのかわかりませんが・・・・・・命脈の上に重ねてみるわけです。
5月には大学時代の仲間と岡山に集まりますから、ちょっとそういうことも考えておきたいわけです・・・・。

だからと言って道学者をきどって神妙に慎ましくしてようなんてことを考えるのでも、仙境に生きようなどと思っているのでもないのです。
とても小市民的な煩悩を実現しようとしているだけの事です。
例えば写真の個展を10回やったことのある人になってみようとか・・・・。
「あなたの写真はいいですね。」とか「あなたに写真を撮ってもらいたい。」と言われるような写真愛好者になってみたいとか、まあその程度の事です。
でも、そういうことが、成就するようでいて、なかなかそこに至りがたいというところが、凡人たる私などには楽しい目標であったりするわけです。
そういう私のささやかな目標のためにこうして協力してくれる人がいるという事はまさに文字通り「有難いこと」「僥倖」という訳です。

ですから、写真を通じて誰かの役に立てればなあとも思うわけで・・・・。

そこで私は「狂雲子」のエピゴーネンを心ひそかに自称しているわけです。
- 2017/02/01(水) 00:00:51|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0