昨日は、和服を着てくれた方の撮影でした。
その人が「和服を着てもいいですよ。」と言ってくれていたこともあり、常々和服の人ならどこで撮ろうと考えてはいたのです。そして、以前から気になっていた場所で撮影の許可をいただきましたので、一緒に出かけてきました。
でも和服を着ているからと言ってどの人でも同じロケーションがマッチするかと言えば違うでしょう。
その一方で同じロケーションでも人が違う事でこれまたずいぶん雰囲気の異なった絵ができるのではないかという面白さもあります。
ところで、今日の人は芸子のような化粧が映えるのではないかと私は密かにイメージしています。それで、先ほど書いた場所はこの人でも試してみたい場所でもありますので、またしばらく時を置いて撮影をお願いしてみようかなと思っています。
どう?撮ってみる? しばらくはダメかな、半年先くらいではどう?

白一色の雪景色の中に赤い色、黄色が入るとやはり面白いですね。
銅葺きの社の緑青色や杉の濃い緑なども・・・・これでも意識しているつもりなんですが。

ヨーロッパの方の(雑駁な言い方ですね。よく知らないことがまるわかりですが。)写真を見ますとポートレートでもとても色を気遣っていることが分かります。
髪の色、目の色、服や背景の建物やカーテンなどなど。色についても計算なしに撮ることはないのだろうと感じさせるものが多いです。
それにコンポジションや視的「導」線にも意識的ですよね。

彼我の違いは芸術的教養の違いかなという感じもします。
そこに優劣がある、とは必ずしも言いませんが、少なくとも私は多少以上の劣等感を感じています。
写真を表現様式としてとらえる意識性の違いかなとも感じます。
私はこの日本列島の上で培われた文化を背景として持っているので同じようには感覚できませんし、また必ずしもどれもが心地よいとばかり感じるわけでもないのですが、一旦は大いに刺激されようとも思います。
日本の人々の撮ったものばかり見ていては感性の窓口が広がりませんから。
なんていうと、何だか相当意識的に写真を撮ってるかのようですが、そうではないことはお目にかけているものを見ていただければ一目瞭然ですね。

ただ、そういうことを考えて少しだけ、もう少し何とかしようよと自分に言っているのです。
で、ないとこういう機会を作ってくれている人たちにも申し訳ないですから、考えているふりだけでも、試みているふりだけでもしないと・・・・・。
えっ?! 振りだけなんですか? じゃあ却って失礼ですよ。 神様の前で不謹慎だなあ、
なんてまた怒られてしまいます。

どうでしょう。寒い感じは伝わりますか。
「ご覧 あれが 経が岬 北のはずれと 見知らぬ人が 指をさす ♪ 」
私が現役の頃、職場の同僚で京都北部に勤務したことのある方々がこの替え歌をよくカラオケで歌っていました。
私は一番の歌詞しか記憶できませんでしたが、いい替え歌でしたね。
「京都発の夜行列車 降りた時から 峰山駅は 雪の中 ♫ 」
- 2017/01/30(月) 00:00:08|
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