私は静岡県西部の磐田市見付の出身です。
冬は西寄りの「遠州の空っ風」が吹き、風にさらされていると体感温度は低いですが、何しろその風さえ遮れば日差しは常に暖かです。
雪はほぼ降りません。

ですから、その地方では、もしも、空から細かな白いものがちらちらと落ちてきて、学校のグラウンドがほの白くなろうものなら先生も生徒も一斉に窓の外を眺めて、暫し授業が止まるほど、雪は珍しいのです。
そんなわけで白い薄化粧はあっても積もるなどということはまずありません。

無論、同じ静岡県でも長野県との県境辺りなどでは事情が違いますが、私の故郷は太平洋(遠州灘)にほど近いのです。
スキーやスケートには縁がなく、屋内スケートリンクが隣町にできた時には大喜びで出かけました。でも滑れるようにはなりませんでした。バス代もスケートのレンタル代も私の家庭には負担が大きかったからです。
まして遠出・宿泊をしなくてはならないスキーにはまるで縁がありませんでした。

ですから京都市内に来て、京都市内の気候にはやや日本海側の気候が混じりますから、時には雪が降るのです。
遠い昔の思い出なんですが、成人の日の朝のことです。故郷の式に出席する気持ちは毛頭なくて、友人の家に泊まり込んでいました。目が覚めて友人とともに外に出たのですが、重たいボタン雪がわさわさと音を立てて降り積もっていました。

傘は歩く一歩ごとに重くなるという感じで、これが雪が積もるという事かととても感動した記憶があります。
傘の雪は傘を傾けて揺さぶり落とそうとしてもなかなか落ちず、元に戻せばすぐさまずんずんとまたもとの通り重くなるのでした。
「我がものと思えば軽し傘の雪」なんて言うのも、そう思わねば「雪は重いんだ」という前提があるわけですが、見付の生まれの私には、それまでにおはその実感はなかったわけでした。

それで豪雪地方の方々には申し訳ない気持ちですが、私にとって、積もる雪は「ワクワク」そのものなのです。
近江の国にはたくさんのこうした村の鎮守の森があります。
近江の歴史は山城より古いのだと思います。
古い祈りと祀りの場がたくさんあります。
韓半島などからの渡来系氏族の足跡もあちこちに見えます。
「万世一系的史観」などただの妄想的な物語でしかないことがよくわかります。

日本列島では年間総降雪量は減少傾向にあると聞きます。
雪が降り梅雨の雨や台風のもたらす雨があってこそ日本列島の上での人々の四季をめぐる生活は成り立ってきました。
人々の比較的穏やかな性質も経済的な豊かさや安定も、人々の生産的営為を可能にしたこの自然があってこそです。
今日、稲作の北限がどんどん緯度を高くしているように日本列島の上での人々の生活は気候とともに変化してきています。
これをどう考えればよいのか。私たちは日本的なるものの評価とともに、その存在を基礎づけているもののことをより深く理解し行く末を考えねばならないように思います。
- 2017/01/24(火) 00:00:57|
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白い雪景色を背景にした今回の写真は、黒いコートと赤のマフラーそれにモデルさんの肌色がとてもよく映えていますね。
雪の明るさでちょっとまぶしそうな切れ長の目が、雪景色とあいまって日本的な情緒を感じさせます。
小学校5年か6年の時、教室の窓の外に雪がちらつき始めたのに気が付いて、みんなで「わー、雪だー」と大喜びをしたのを覚えています。
これが生まれて初めてみた雪だったように思います。
天気予報によれば、京都も今日は雪のようですね。
雪の京都も素敵だろうな勝手に想像していますが、生活している人たちはそれどころではないでしょう。
思わぬ怪我などしないように気を付けてください。
- 2017/01/24(火) 08:47:35 |
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- Hudson Terrace #ZeBYuJyY
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コメントありがとうございます。
コートやマフラーはフォトマヌカンをしてくれたこの人の手柄ですので残念ながら私は自慢できません。
この人に撮影をお願いしたそもそもの理由の一つがこの人の切れ長の目が魅惑的だったことです。ですから、いつもそれが魅力的に撮れるかということが重要な課題の一つです。
私たち太平洋岸の暖かい地方に生まれ育った人間にとっては雪は楽しさ、ワクワク感いっぱいのものですね。
京都の私が住む地域は盆地の北辺ですから、五条通り辺りと比べてもだいぶん雪の量が多いですが、ここからひと山越えたところでは、さらに数センチ多くなります。
雪に慣れた人慣れない人が混在していますから、道路は危険が一杯です。
お言葉通り十分気を付けたいと思います。
- 2017/01/24(火) 20:31:19 |
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- soujyu2 #-
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