昨年暮れから新年にかけて例年より暖かい日が多かったように思うのですが、この前の土日頃からは本州でも寒い日が見られるようになりました。
これから寒さの底に近づきますね。
自転車で出かける私にとってはうれしくないことですが、「冬来たりなば春遠からじ」の期待を持ちたいところです。
もう梅が咲き始めていますからね。

今作業をしている場所の脇には以前の下絵の原画が置かれています。
原画は基本的には問屋さんに手渡されるものですから、下絵の職人さんが保有しているものはまれなのです。
そしてご自身のものでなくなったものはこうして展示することも「いいよ、写真に写っても。」とは言えないわけなのです。
そこも職人と作家の違いでしょうか。

経済成長が順調な時には注文の帯も金銀が施され絵柄も複雑で豪華なものだったようです。
結んだ帯の太鼓のところに絢爛たる織りや刺繍や箔が施されているのですが、結んだ時に見えない部分にまで手の込んだ仕事がされています。
ところで、かつての話ですが、
結んだ内側になれば見えないのですから「無駄」と言えば無駄なんですが、そこにまで行き届いた仕事をさせるのが「豊かな」人たちの「好み」だったわけです。
今の成金たちはそういうことは求めないようです。見せて驚かせて感心させてナンボですから。
だから彼らの発言は底が浅く、行き当たりばったりで、しかも欲得づくが露骨で、それに居直っている品の無さです。誰がとは言いませんが、まあお判りでしょう。

最近では抑えめの色遣い、意匠のものが多いんだそうです。
服飾のデザインが時代の空気に影響されるというのは当然と言えば当然なんでしょう。
私自身の服も今や「着られればいいか」のレベルです。何しろ掛け値なしの年金生活者ですからね。

カメラを買うか服を買うかと言えば、「両方!!」なんて贅ができないことは当然の事、まあ壊れるまで、破れるまでは我慢しようということにならざるを得ないわけなんですね。

私たちの後の世代は、ますます…今のままの政治では・・・しんどくなるわけですから、こうした高度な伝統産業の行く末も良い展望がないわけなのです。
労働者が賃上げのストライキをし、それに職人たちも加わるようでないと、事態は好転しないのでしょうね。
労働者もまた職人たちのえとぁざの文化的価値とともに収入に関心を持つべきでしょ

それにしても欧州の寒波は相当なものですね。昨年、一昨年なども北米や南欧などでの猛烈な寒波が伝えられました。
地球温暖化がこうした気象変動とどれくらい連動しているのかについては依然として議論のあるところです。
無関係だとするよりも関係があるという蓋然性があるのであれば、今お子達る事態の深刻さから言って、ともかく人工的な地球温暖化を食い止めて「さあ、異常気象は収まるだろうか?」と、人類にできる手をまず打ってみなくてはならないだろうと思うのですがどうでしょうか。
「どうやら人類の吐き出している温暖化ガスの影響は全くなくて、全然別の要因によって「異常気象」が生じているようだ。」ということが分かれば、それはそれで大いなる成果です。
人類は人類の行為しか修正できません。
地球物理的なレベルの事は手も足も足も出せないのですか、まずは人間にできることはやるべきだと思うのですが・・・。
- 2017/01/17(火) 00:00:35|
- 伝統工芸
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