働く自分の姿を撮ってほしいという気持ちをお持ちの方が少なくないとは薄々感じているのです。
私は人の働く姿がもっとリスペクトされていいのじゃないかと思っていて、「写真は注目だ。注目はリスペクトだ。」というのが私の考えですから、それを掛け算した写真活動が一つの構想なんです。

消費(≒購買)ばかりが肥大し、生産や労働が陰に追いやられ、いじめられゆがめられていることが現代社会の病の根源のひとつだと思っているわけで・・・。
なぜそうなるかの議論はまあ別のところで論じるとして、とにかく働いてモノを生み出し、人を支え、楽しませている人々を「よっ!!ご同輩!」と声をかける感じで撮りたいのですね。

現代の日本のように働く人々が粗末にされて金融的詐術や投機で富をなした人が成功者=勝ち組だとされているようでは「すべての人に希望をいきわたらせる」なんてことはあり得ないわけだと思っているのです。
まして「 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使 」を当然視する政治のもとでは。

とにかく作業が速い! 正確。
フルーツやチョコレートを置く瞬間に見せる集中の表情はとても魅力的です。
階下に厨房があるのですが、こうしたパーティー会場のようなフロアでは・・・・運ぶ上での都合もあるのでしょうが・・・・ライブ的に作ってくれるのはまた楽しいものです。

私自身は、食後の甘いものは・・・・時としてボリュームが多すぎることもあって・・・・・幾分敬遠する方なのですが、こういう作業を見ると、ちゃんと食べなくちゃと思うわけです。
形を壊して食べざるを得ないわけですが、なんとなく丁寧にフォークやスプーンを入れる心地になるのですね。
(こういうところに行儀・作法の根源があるのじゃないかと気づいたりするのです。つまり食事の作法は作ってくれた人に対するリスペクトなのだという事ですね。・・・・こういう点でも客だから金を払っているのだからどうしようと勝手じゃないかという物言いに抗する文化でありたいですね。)
自分の「働く」が粗末にされている人々は他人の「働く」を大切にできないのであろうと想像するわけです。
このチョコレートの立つ角度を見てください!!
こうして作られたものをぐちゃぐちゃっと壊せますか?

さてこれからコンサートに行くのですが、ワインを美味しくいただいてほろ酔い気分です。
会場で居眠りしたらここで書いたことは何だということになりますね。
「いや、演奏があまりに良くて心地よくなってしまって・・・・。」なんて言い訳をしなくて済むように・・・。
- 2017/01/12(木) 00:00:31|
- 料理
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