帯の柄の下絵を描かれています。
この机の脇に作品があります。
様々な色の箔が押された豪華なものです。ですが、けばけばしくなくて落ち着きのある豪華さです。

下書きは彩色する場合もあれば、こうして線書きの図案で問屋に渡す場合もあるんだそうです。
「前に別の下絵を渡して帯を作っている場合は、『この前の感じで…。』と言えば問屋も織りても色の選び方や箔の置き方も分かる」んだそうです。
さすがに専門家同士の阿吽の呼吸です。

着彩して問屋に渡しても問屋の判断で色を変えたり、図案の一部を切り取ったり組み合わせを変えたりします。
私など「自分の作品を勝手に変えるなんて、・・・・。」と思うのですが「自分の下絵を活かしてより良いものにしてくれるとそれは又うれしいもので・・・。」と言われます。

狭量な著作権意識や膨満した独自性とは違った考えをお持ちなのだなあと感じました。
江戸時代の農学者は自分の発見や・工夫を広く農民に開放しています。
無論、領主がそれを封じ込めたり、研究者自身も自分の名声や栄達のために秘密主義に陥ることがありました。その最たるものが「御家流」「家元制」ですが、しかし飢饉に苦しむ人々のために積極的に知見や工夫を広めたものも多かったのです。
エイズの特効薬の特許を秘匿する某国家と製薬資本。研究者の倫理も問われます。軍産学複合体が拡大すればこういう傾向は一層はびこります。日本の大学に軍事研究の「飴玉」がぶら下げられているのが危惧されます。

それにしてもこうした伝統工芸の世界が衰弱している姿は目を覆うばかりです。
もう残された時間はほとんどないのに・・・・。
財界などが観光利益ばかりを狙って(心ある人々の善意とはうらはらに)進める「世界文化遺産」などということにうつつを抜かしている場合じゃないと私は思っているのです。

こうした伝統的な高度に洗練された工芸や芸術を現代と未来に活かしていかなければ、わが国固有の伝統文化などといってもその内容は空疎なものになり、やがて、張りぼての嘘にまみれた粉飾だらけの昔話だけになってしまうでしょう。
伝統は現代に生かされなくては死んでしまいます。それを逆に現代に生きていけないのだから滅んでも仕方がない、それが現実だなどと訳知り顔で言う人がいますが、これだけの宝を現代生活に包容できないとしたらこれからの私たちの文化の可能性などたかが知れているということになると私は思います。
東京五輪のためにばらまかれるお金はどれくらいなのでしょう。
スポーツも芸術も工芸も単にビジネスチャンスとしてしか意識されない経済システムの問題ですね。拝金主義が保守政治の根っこの根っこまで入り込んでいます。
その滴≒おこぼれを口を開けたままいつまでも待ち尽くして、その保守勢力に票を投じ続ける少なくない国民。
目端の利くものが「維新」などと言ってハイエナの様に利益を嗅ぎまわる図は見ていて吐き気がするような思いがします。
- 2017/01/08(日) 00:00:14|
- 伝統工芸
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ほんとうにそうです。
保守、保守本流の意味さえ中身が無くなっています。
それを批判すらしない政治学者の怠慢です。
拝金? 奪金? 本流と看板を架け替えればいいのに、 ほほっ。
- 2017/01/08(日) 10:52:33 |
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- cosmos #-
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私自身は「左翼」ですが、保守の人たちが主張し大切にしようとしていたものにも頷くこともあります。
ただ昨今の保守という言葉でくくられている人たちは30年前のそれとは違い、内容的にほとんど見る影もないという感じを受けます。政治で言えば大平氏だとか経済で言えば下村氏だとかいう様な人は見当たらなくなりました。
ただ目の前の我利を追究して権力にすりよりその場限りの言葉を垂れ流す人たちが目立つように思います。愛国心というようなものもほとんど感じられません。私の誤解でしょうか。
- 2017/01/10(火) 09:13:09 |
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