皆さま
新年あけましておめでとうございます。
皆様にはきっと良い年の幕開けになったことと思います。
本年もまた旧来同様、よろしくお願いいたします。

一年の計は元旦にあり・・・・・例え、どうせ三日坊主でも、何も未来を思わぬよりはいいでしょう。
私もいい年(齢)になったとはいえ、一休禅師のごとく「南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ」という境地にはまだまだ到底至りません。 欲こそ喜びの元だというのが私の根本ですからして・・・、今年もいくらかの欲をかいてみたいと思います。

「娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと 」言える人生の残り時間もそうそうたくさんあるわけではありませんから、せめて・・・・は、と思ってみたいわけです。
なに叶えたいことというのも年末ジャンボで10億円当たりたいなどというわけではなくて、自分が腰をあげさえすれば、なにがしかそこに近づけるのですから、神頼みも必要ないくらいのものです。
そんなわけで私は「初『詣』」はいたしません。 初詣の様子を社会見学にはいきますが。

男衆(おとこし)さんが出て来ました。
今日は満彩野はんの「お店だし」です。半玉から舞妓になってデビューの日です。
これから各お茶屋はんにご挨拶です。
満彩美はんです。

ちょっとした出会いから、こうしてお茶屋さんの前でカメラをもって待ち構える仕儀となりました。
今年はこの路線で行きます・・・という宣言ではありません。
街行く芸妓はん、舞妓はんに興味がないわけではないのですが、撮ったからと言ってそれがどうだと・・・と言う気持ちがありますので、もう少し機が熟すまで、このテーマは置いておきます。
満彩野はんです。

今年は5月に個展をするつもりです。
ひょとしたら10月にもと思わぬでもありません。
9月には京都ファインダー倶楽部の写真展に一昨年、昨年に続いて参加予定。

何とか中学時代のクラス会の実現を働きかけたいと思っています。6年間も店晒しだからです。
新年早々の言葉ではありませんが「そのうちにやろう」「いつかできるだろう」と言えるほど、お互いに命脈の余裕はないよと思うからです。
大学の仲間の集まりは計画されています。 が、これも本来なれば少なくとも1年以上前には実現しているべきものでした。
焦りはしませんが、適度に急いでいこうと思うのです。
「門松は冥土の道の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」
天邪鬼の私はこういう警句が好きです。
けれど、一方で、必ずしも生き易いとは言えないこの社会の中で新年を迎えたことを共に喜び合う事は人が生きていくうえで決して無意味でもなければ無駄でもないことだと思っています。
ですから新年を迎えられたことを共に喜び合いましょう、新年あけましておめでとうございます、と言い交し合う風習に添います。
そうではありますが、それとともに、やはりお互いの万歳を祈る気持ちを持ちつつも、被災地の方々、なかんずく福島の人々、さらに悪政と私たちの民主的・平和的な力の弱さによって、その犠牲となって海外に武器を携えて派遣させられている自衛隊員とその家族の方々の思いを想像することを忘れてはいけないと思います。(たまたま私はそれらの直接の当事者でないからこのように言うのですが)
そして単に日本の枠の中だけでなくアジアの、世界の否定的な現状を意識にとどめ注意を向けることの必要性は今日の日本国民の少なくない人たちの心性から言って特に強調したいことだと思います。
新年を迎えたからと言って何か一つでも貧困や圧制や紛争がなくなったわけではありません。
神社仏閣に足を運んで手を合わせたからとと言っても個人にとっても世界にとっても何かが微塵でもよい方に変わるわけではありません。
私たち自らが具体的現実的に行動を起こさなくては毛筋一本も現実は変わりません。
私が、新年を迎える世間でとても多く口の端に登る「祈る」という言葉にいささかの懐疑を感じるのはそういう意味でです。
私は新年を迎えて改めて怒りや悶え、悔しさや悲しさをかみしめたいと思っています。
- 2017/01/01(日) 00:00:02|
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