「メメント・モリ」
古代ローマで意味されていたように、「遊びをせんとや生まれけん」の精神で。ちょっと違ったかな。
「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」はこれまで幾度となく引いてきた言葉ですが、正月三が日を過ぎるころには大概忘れます。
それで年末に思い出して、今年は三が日の後にも意識したということにしておきます。

使ってみたくなったレンズがあり、はたして使い物になるのかどうか試させていただきました。
そんな理由で撮りに来るなんて失礼もほどほどにせよと怒られそうですが、この方のご厚意にすがります。

撮るからにはただシャッターをきって画像を見て鮮明度や光量落ちなどを確かめるというのではなくて、この人の発している空気に臨むのに使えるかどうかを感じたかったというわけです。

実は今までにも何度も撮らせていただいてきました。
で、この方は私よりもずっと写真やカメラについて造詣が深いのではないかと・・・・。
父上、兄上が深く写真にかかわり、ご自身もかつての仕事は写真のすぐそばだったそうです。

それで私の「撮らせてくれませんか?」に対して好意的に応じていただけているんじゃないかと。
般若の面を作っておられます。
こうした面には基本的な型があるんだそうで、型紙・・・というのかどうか知りませんが・・・・を当てながらの作業です。
面の図もあって各部位間の詳細な寸法もあります。
だからと言って元の面の持つ迫力は勿論のこと、ただ形だけでさえ直ちに再現できるといったような簡単なものではありません。

こうした摸刻から多くのものを学び撮っておられるのだと思います。
昔の絵師たちは模写を重ねたのだそうですが、そういう意味があたのでしょう。
「学ぶ」は「真似ぶ」だという事はよく言われることですし、学ばなければ発展も創造も危ういです。
- 2016/12/29(木) 00:00:45|
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ご訪問いただきありがとうございます。
積極的で旺盛な活動力にいつも刺激されています。ありがとうございます。
植本さんもよいお年をお迎えください。
- 2016/12/30(金) 21:34:52 |
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- soujyu2 #-
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