晩秋ですね。

以前お目にかかって写真を撮らせていただいたことがあります。
覚えてくださっていました。そしてその時に見ていただいた若い女性七宝職人さんのことも「今はどうしてる?」と気にかけてくれていました。
伝統工芸のほとんどの分野で若手がいなくて後継者が途絶えてしまう現実的な心配があるからです。

帯の下絵を描かれています。
珍しく?私よりいくらか年下です。
「いつも年かさに見られてしまうんですが、案外若いんですよ。」とご本人。

この下絵のようなデザインだと「織るのが難しくなる」のだそうです。色違いの横糸が多くなりしかもそれが錯綜すると織ったときにデザイン通りの切れが無くなることがあるんだそうです。となりあう糸の重なり具合というか、隣り合う具合というかそれが難しいんだそうです。
この絵はご自身の創造です。
こういう絵を描くためには様々な名品の意匠を学ぶ必要があります。そのためにご自宅には大判で分厚い資料がずいぶんたくさん「貯まってしまいました」とのことです。
ご自身が無くなったら「もう下絵は焼き捨てられてしまうんだろうなあ。活かしてくれる人があれば・・・。」と遠い未来を眺めて言います。

そういうものを引き継ぐ人がいないので結局廃棄されるだろうとおっしゃるのです。
そこで「そういうものは国有の財産として、世界に公開したらいいんじゃないでしょうか。」と申し上げました。
京都の西陣で引き継げないんだったら人類の財産として、世界に公開するのです。知的所有権云々などと言っているル場合じゃないと私は思うのです。そうして世界のどこかで誰かがこの方の意匠を継承して発展させる、そういうことを構想してよいと思うんです。

なるほどそれもいいなあと好意的に受け取っていただけました。
「ただし堀川さんの名前は敬意を持って表示するんです。」
こういう下絵は買い取られていきますが、その通りに使われるとは限りません。
ある着物の展示会で見た時に下絵の本画とそれを織って縫った着物とが並べて展示されていました。
紙に絵の具で描いたものと実際に絹糸を染め、降り、金彩などを施したものではおのずから風合いや光沢が違いますが、明らかに色を変えたり、例えば花の一を微妙にずらすなどされていました。
それが見事に成功しているので受賞もしていたりするわけですが、本画の方が落ち着きがあていいなあなどという場合も、人の好みによって生じるわけです。

知的所有権がやかましく言われていますが、人が生み出したものは人類の財産だという考えもあります。排他的に利益を得ないと承知しない資本主義の論理とは違う世界もあるんです。
京都の伝統も世界に開いていかないと早晩衰退してしまうんじゃないかと、それを恐れます。
- 2016/11/29(火) 00:00:41|
- 伝統工芸
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0