「♪ 京都 大原 三千院 ・・・・ 『恋につかれた女』が一人・・ ♬」
「恋に疲れた」を「恋に憑かれた」と理解して、「大人の世界だなあ」と感心していた遠い昔があった。
人生すべからく誤解の集積か。

それにしてもこの歌中の女性は皆、和服を着こなしていた。
けれど?近頃の京都の街中で見る和服の女性は派手派手しくて、とても「恋に『疲れ』」ているようには見えない。
まあ、どうでもよい話なのだが。

ところで、以前この人に浴衣を着てもらって撮ったことがある。
とてもよかったのでまた着物を着てもらって撮らせてもらいたいものと思っている。
はたして引き受けてもらえるかどうか。
浴衣で撮るためにはほぼ1年後を待たねばならない、ということが「人生一寸先は闇」という事からすれば叶うまじき夢ということになるだろう。

ここ大原は自動車であれば町中からさほど遠くはない。
私が旧職に就いていたころ夏にはこの辺りで合宿して勉強会をしたことが思い出される。
風呂にも入り、酒も持ち寄って美味しい鍋をつつきながらのこと。

その頃の仲間はよく勉強する人が多かった。
そして誠実に討論した。 討論、勉強はいつも楽しかった。
そしてその討論は次の実践へと結びつくものが少なくなかった。
リーダーも優れていたが、何より謙虚で誠実な人が、そして常に学ぶ人が少なくなかったことが楽しさの大きな要因だったと思う。

ここへ来るとそれを思いだす。
その時のメンバーのほとんどが、今私がこうした写真を撮っていることを知らない。
おそらく「意外だ」というだろうと思う。
しかし、当時からカメラも持っていたし、撮りたい気持ちはあったのだ。が、何より仕事が優先だったし、忙しかった。
そのうえお金もなかった。

私の高校時代の友人は「やはりそこに戻ったか。」と分かってくれると思う。
長い間伏流水のままだった「写真」だが、今日こうしてこの人たちの協力で撮れるようになったことは実にうれしい、ありがたいことだと思っている。
- 2016/10/24(月) 00:00:26|
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