手描き友禅です。
この道「30年と少しかな。まだそんなものだ。」そうです。
通常、例えば大学卒で就職すれば30と数年で定年退職です。十二分なキャリアです。
でもお隣の型染めの方のキャリアが何と六〇年ですから・・・・まあ、それに比べれば「ようやく一人前」ぐらいの年数となってしまいます。

勿論、実力実績は「ようやく」一人前などというレベルをはるかに超えていますが、職人の世界にはこういう事が多々あります。
でどこまでもどこまでも技術の高みがあるということになります。
それに職人さんの場合漫然と何年かやっていられるという甘い世界ではありません。

師匠から独立して、自分の仕事を世に出した時「次はこいつに仕事を依頼しよう。」と思わせる仕事でなければ、そのあと何年も何年も仕事は回ってこない。そういうものだそうです。
いったん仕事について「よし」と認めれれば仕事が集まるし、そうでなければ遠ざけられる。
ましてかつてのようにたくさんの仕事があるわけではないのですから、なおさら厳しい。

そういう三十年あまりなわけですし、そこで六十年続けて来られたことの意味は想像できないほどです。
自営の方たちは多かれ少なかれそういうものでしょうが、こういう高価な商品を作るにはなおさらのこと。
「仕事の出来ん者に回す理由はない」訳です。

しかも京都のようなところではライバルも多いのですし。
厳しく揉まれるわけです。 京都の職人の仕事という看板への責任もあるわけですから。
(むろんその看板におんぶにだっこのケースもないわけではないのですが。 例えば・・・・工芸の分野ではないですが・・・・マンション建設など、京都で仕事をしている、京都の景観を作っているという現在と未来に向けての責任と誇りのある仕事がどれほどみられるか。はなはだ怪しいものです。
大文字が見えます、鴨川に近い山紫水明・風光明美などと売り込みながらその景観をぶち壊しているのが大方のマンション建設です。その最たるものが下賀茂神社元駐車場に立つマンション。梨木神社境内のマンションなどなど。)

テレビ番組などで安直に上澄みだけをかっさらて番組を作り、京都を甘やかすのもとても悪い影響を与えていると思います。

京都はどこに行こうとしているのでしょう。
- 2016/09/26(月) 00:00:58|
- 伝統工芸
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