ギャラリーをお尋ねして偶然にも、長いこと気にかかっていた絵の作者にお会いできたのですが・・・・。
「実は先日、F.Kという写真家が来てバチバチと撮っていったよ。」というので、「撮らせていただけませんか。」という言葉が喉から先に出られませんでした。
・・・・・そのF.Kという方は京都だけではない広い範囲でよく知られた方で、写真集もたくさん出しておられます。私より一歳年長なのですが、先年の火事でモノクロフィルム200万コマを焼失したという方です。200万コマ!!! 50余年で1万余人の人を撮る!!・・・・

で、最初お会い日にはすごすごと退散しし、思い切ってその翌日にも伺いました。
すると前日にもまして歓迎してくれて、私の『撮りたいのですが』という申し出を一も二もなく快諾してくれました。
どうやらギャラリーの方が、前日私が帰った後に何やら私について補足してくれたようでした。

この方は、ご自身の作品を手にもって毎月同じ日に四条河原町の交差点に無言で立っておられます。
ああ、なるほどそういう事の出来る人だったのか、と思いました。
はじめただ一人で立ち続けるうちに3年たった今は他に20人近い芸術家たちが自らそこに来て立つようになったのだそうです。
「立っておられる姿を撮らせてもらってもいいですか?」とお尋ねすると、「どうぞ、他の仲間もご紹介しましょう。」とのことでした。

「正面から撮られるのは苦手だから、話しているときに、知らないうちに撮ってくれたらいいよ。」とのことで、お言葉に甘えました。
お話をするのもお好きなようですが、こうしてよく人の話に耳を傾けます。
おそらく「教え子」にも人気の先生だったのではないでしょうか。

ご覧になってお分かりだと思いますが、この方の手指は、表情豊かに動きますが決して相手に対して攻撃的な姿をとりません。
絵にも気づくべきことに目をふさいではならない、この現実の不安に正面から向き合おうというメッセージが見てとれるのですが、それが声高でなくユーモアにあふれ、いたずら心満載なのです。
それに加え「哲学的思考」に満ちているという印象があります。
今日の多くの中堅若手(だけでなく大御所たちの作品も然りというべきか)の作品に欠けているか乏しいのは、この哲学的思考です。現実との対峙も悶えも希薄です。

作品に「深刻ぶった」ところはありませんが、「深刻に考えている」ことが伝わります。
作品の力ですね。

とにかくここでの皆さんの会話が明るいのです。
この方の絵のように。

しばらく少しばかり萎えていた「撮りたい心」がまた力を得てきたように感じました。
- 2016/09/23(金) 00:00:19|
- 絵画
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0