職人さんにお会いすると、時にその方が私のことを覚えてくれていたりする。
いつの間にか、そういう風になっていることに気付く。そういえばもう5年余り撮ってきているのだなあと。
でも、甲斐扶佐義氏は10000人以上を撮ってきているのだから、その十分の一にしかなっていない私は、文字通り足元にも及ばない。

職人さんを撮らせてもらう時、多くの場合に仕事についてお話を伺うから、いくらかの知識ももつようになった。
お蔭で美術館で工芸の作品を展示する部屋にも入るようになったし、着物の展示会にも足を踏み入れるようになった。
ありがたいことだ。

京都に文化庁が移されることで、何やら良いことがありそうなことを行政は宣伝しているが、ことはそう単純ではなさそうだ。
金になる「文化・伝統」にしか関心がない行政だから、いろいろなところに歪があるし、こうした職人さんの未来も明るいとは言えない。
伝統工芸も職人も旧態を保守しているだけでいけないのはもとよりだし、職人さんたちもあがいている。
だが個人的努力で事が打開できるとは思えない。

「日本に京都があって良かった」などと気恥ずかしいようなコピーが踊るが、そういう自覚が京都に本当にあるかと言えばどうだろう。
タコが自らの足を食っているような文化行政だと感じる。
観光に来られた方たちの話を聞くと、「京都はやっぱり特別だから、ここにいるだけでうれしい。」という。
私の郷里の親せきや友人・知人もまた同じような感想を漏らす。
そういう現状からすれば、先ほどのコピーは実によくできtれいると言えるだろう。

だが、現実の京都はどうだろう。
神社仏閣を見る以外に何があるのだろう。
いろいろなところで職人も芸術家もがんばっている・・・・・が、そういう努力に乗っかって、
「文化・伝統」を今日・明日のお金でしか考えない精神が、次第に京都を蝕んでいるように思えてならない。
- 2016/09/15(木) 00:00:35|
- 伝統工芸
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