日本で絵画を見るときには、「シーッ!!」「ひそひそ。」
ましてこんな風に輪を作って腰を据えてしまうなんてことはまずできません。
会場が広いのです。

この方たちは、ひそひそと話をしているわけではないのに、いえ、結構熱っぽく質問したり説明をされたりしているのに、うるさくないのです。
ドイツ語でしたら日本人には強い音に聞こえるだろうと思うのに、です。
多分、ですが、この白いシャツを着た人が講師とか学芸員とかそういう人なんだろうと想像します。

絵を大きく俯瞰したり、細部にわたって細かな説明をもされています。
1分や2分の話ではありません。ですからいすまで持ち運んで。これは貸し出されているんでしょうか。
ここでのやり取りを十分に楽しんでいます。

きっと画学生たちもこうして学ぶことができるんでしょうね。
私は天国と地獄、極楽浄土と地獄を分けて「最後の審判」を想定するような考えにはなじめません。神の裁きとか閻魔の裁きとかで人の善悪を裁断しますが、人間が悪をなすその背景をいかに解消するかということに…つまり人間の責任にしてしまわないで・・・神や仏が取り組んでくれたらなあと思うのです。
絶対的な力を持つ神がひ弱で「葦」のごとき存在である人間を・・・・・そしてそのようにお創りになったのはほかならぬ神であるのに、その人間が罪を犯したからと言って裁きにかけるというのは少々理不尽ではないかと。製造者責任はどうなっているのかと。
閑居するとついつい不善をなしてしまう私としてはひがんでしまうのですね。

それにしてもこのフジのカメラの色づくりはどうでしょう!!
弱点はいろいろあるけれど魅力の大きいカメラだなあと思います。
こうしたところでは、言うまでもなくストロボは使いません。カメラ内蔵の小さなガイドナンバーのストロボでは役に立ちそうもありませんが、そういうことをしなくてもこういう風に写る高感度性能。最近はどのカメラでもこれくらいの性能は皆持っていますが、有難いことですね。
WBをほめるべきか、会館の照明をほめるべきか、それは私にはわかりません。

この部屋にはチェーンが張られていますが、こうしたモノのない、画面のほど近くまで近づける部屋もたくさんあります。
- 2016/08/24(水) 00:00:55|
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