先日「第78回 京都写真サロン」という写真展を見せていただきました。
中に人物写真で、秀作を見ました。これは賞を撮っても納得だなあ。素晴らしなあと感心しました。
白い衣装、祭り用の白い化粧に口紅、そして白い背景。珍しく色に行き届いた計算のある写真でした。そしてそこに服の皺の表現が陰影となって見事でした。女性のいくらか特異な表情がまた魅力的でした。
他にも数点見るべき作品があって勉強になりました。

皆さん心を対象に傾けて撮っておられます。

それにしてもやはり人物を対象とした作品が少ないですね。
あまりにも少ない。
ですから先ほどの受賞作品はたくさんの良い人物写真の作品の中に一段と秀逸というような状況ではなくて、孤独な戦いという風情でした。

私はこうした公募展に「参戦」することには特に何の興味もありません。
が、日本のアマチュア写真の状況は、何だか特殊だなあと感じます。違和感があってなおさら混じろうという気になれません。
だからといって、お互いアマチュアでやっているのですから、何か取り上げて批判めいたことを言うつもりもあまりありません。
今はまあそれぞれ我が道を行けばいいかなとは思っているのです。

写真の楽しみ方、追及の仕方は一つではないですしね。

楽しく楽しく肩の力を抜いて・・・・。

写真というのは、まあ魔法みたいなものですからね。
これを楽しまなくちゃ損ですよ、お客さん!! と、いう位のものです。

それにしても技術がどんどん進んで、「シャッターを切った後でピントが合わせられる!」なんてカメラまで出て来ましたから、
人はただ「これだッ!!今だッ!!」と思ったら四の五の考えずにレリーズボタンを押せばいいという事になりますね。

まつ毛の先にピントを合わせてとか、瞳の潤いをとらえたいなんて言ってファインダーに目を押し当てるようなことはそのうちに無くなるのかな。

そうなると自分で釣竿をしならせて魚を釣るんじゃなくて、帰りに魚屋によって大きなタイを買って帰るような気分じゃなかろうかと思うんですが。
どうなんでしょう。
それでもいったん開発されて「便利」だという事になれば、多くのカメラが当然そういう機能を備えるのでしょうねぇ。
- 2016/07/27(水) 00:00:54|
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