
いつもの「寺ぶら」です。これをしないとどうも落ち着きませんン。
パステルの風景画だそうです。(写真を後から構成していますので、いかにも最初から写真を撮ってるように見えますが、絵を見て作者と話して、これはと思って写真を撮ることを承諾していただけたときにだけ撮っています。念のために。)
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水彩やパステル画の展覧会は室内が明るく「大作」の雰囲気はあまりないことが多いです。
私の観賞の癖でしょうか、ついつい一点一点に時間をかけて見てしまいます。作者の方からするとそれが何やら気になるようです。
作者の斎藤氏は73歳ですが現役の薬剤師さんです。絵は5年ほど前に描き始めたというのですが・・。
少しお話をしているうちに私がこの写真に写っている絵がいいと言うと「今までそんなことを言ってくれた人はなかった。」と喜んでいただきました。

斎藤さん自身はこの絵がお気に入りのようです。
上の絵は琵琶湖の湖岸の絵です。下の絵は金閣寺です。なんといっても色遣いが独特です。奇をてらって色を使っているのでないことは明らかです。

いずれも水面の色が面白い。宗教的な潜在意識や宗教的な伝統的な色遣いを意識しておられるようです。
そこに、癒しがあるというのが氏の考えです。
自ら職場や家庭では「変わりもの扱い」とおっしゃっていましたが、この色遣いができるということは確かにその傾向があるかもしれません。つまり人の言うことに迎合できない・・まあ時に聞いていない・・という。

小学校の時に受けた絵画教育によって「絵を描く気持ちがくじけた」と、おっしゃっていました。
私の経験とも重なるところがありました。作文にしろ絵画、音楽などにしろ・・・反省され改善されている点はなくはないとはいえ・・たくさんの才能(大才能でなくともよいのです)を埋もらせてきたのではないかなあと感じています。いえ、それは芸術教育に限らない全般的な教育・学校の在り方に問題の根があると思うのですが。

話すほどに表情が和らぎ、笑顔が広がります。
生老病死に向き合ってきた方だけに、話は深いです。
薬局に来られる患者さんの声を聞いて描いてきたと言っておられました。

「大変失礼な言い方になるかもしれませんが『下手うま』ですね。」
技術的には決してうならせるようなものをお持ちでないと思いました。しかしこの色遣いと大胆な省略は非凡だと感じました。少なくない方がこれによって慰安されるのは間違いないとも感じました。
水彩も油も教えてもらったけれど「教えてもらうことで自由に書けないからすぐに止めた。」とのことでした。これは教育を考える上で大切な勘所だと思います。生徒も保護者も先生も教育委員会もこのことについて思想的に考えないから苦しい辛い「ワクワク感のない」学校を作っているのです。

ギャラリーを覗くことはその方の人生の一端を垣間見させていただくことです。そこに「寺ぶら」の楽しさがあります。
そして「人を撮ることの醍醐味」があります。
- 2011/09/26(月) 00:02:51|
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