とても節度があって礼儀正しい青年です。
見た目にびっくりしちゃいけません。

服装の全体に興味があったので、「立ってみてくれる?!」
お腹のでっぱりについて話しているのではなくて・・・・三つ揃えのスーツのチョッキを着ているのが分かって・・・・。
「これですか?これだけがちゃんとしたもので・・・・。」

他ははジャージなどを履いています。
腰の周囲に巻いて履いているのは、「これは母親のスカートの裏地なんです。」
そもそも思いつかないようなことを、しかも思うついてもやらないだろうことを「やれる力」というのは案外大きな意味を持つと思います。

これで何か形になっているように見えるでしょ?!
見える方不思議だ。
やったもんが勝ち! そして、こうしてみたけど「なにか(問題でもありましたでしょうか)?!」と。
私は近頃の世情にある、こういう風潮は概ね大嫌いなんですが、若者にはこういう力が必要だt後思っています。というか、それはどの世代にも一面大切な要素だと思うのです。
世間様に対して右顧左眄する俗物主義もまた好ましいとは思っていません。
これが自分の哲学でコントロールできるか、世界に対するある種のリスペクトがそこにあるかという事が大切でしょう。
そういう事を思いながらも、私はついつい「やれやれ、もっとやれ」派になります。

学生たちの絵や写真があまりにもおとなしくちまちましていることが多いから、そう思うのかもしれませんし、中高年のそれもまた同じように感じるからでもあります。


- 2016/07/12(火) 00:00:40|
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