私は親に大変な負担をかけて大学に進ませてもらいました。当時はあまりその自覚もないのでしたが、客観的には無理をさせました。
大学の寮に入れたのがせめてもでしたし、寮の建物は移りましたが、寮を4年間出ることはありませんでした。というより出られませんでした。
今思えば、寮費は安かったのです。
寮の仲間の中にはバイトで稼いで学費を払うだけでなく郷里に仕送りするものがいたほどそれぞれの生活は苦しく、インスタントラーメンを鍋で作って数人で食べることも稀ではありませんでした。底に残った数センチの麺の切れ端を取り合ったことも、切ないですが楽しい思い出です。(1回生になって間もなくの嵐山でのコンパの際に、一人が「俺は確かに学生証を持ってはいるが、講義にはほとんど出られない。これで果たした俺は学生なのか?!」と声をあげて泣いていました。周りの者もまたうつむいたまま声を発することもできませんでした。)
現在の学生もまた学費の重い負担に泣いています。
震災や風水害が報じられるたびに生活基盤が揺らいだことで学生生活をあきらめたり、休学している若者がいるんじゃないかと想像してしまいます。
政府の支援は本当に出し渋りでケチですからね。大企業や株式の配当や売買差額の収入のある人などにはふんだんに開発の援助や税制の優遇をするのに、庶民には徹底的に冷たいです。
学生の姿を見るとついそんなことを思います。
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外から見た時には、・・・・珍しいなあ。学生じゃなくて社会人がいる。それもそこそこの年齢だぞ、と思いました。
そう見えた写真は撮っていませんが。
ここの受付は多くの場合学生がしているのです。

かなりインパクトのある風貌です。

そのことに触れると、破れ帽子をとって髪がどうなっているかを見せてくれました。
相当気合の入った髪型でした。

キャンパスの中では「そんなに過激で目立つという方じゃないですよ。」
芸術系大学で、制作の方ではなくて企画などをする方の専攻だそうです。
それで受付経験です。

実は今日はたまたまのピンチヒッターだそうで、そのおかげで会えましたね。
私の写真を見てくれています。

「ここのギャラリーで写真展をしてくださいよ。」
「大学の関係者や大学が呼んだ人でないとダメなんだろ?!」
「僕たちが呼びますから。」
「そう?! じゃあ企画してもらおうかなあ。」・・・・という事はありなんだそうです。

良い先生に出会って励まされているそうです。
学校というところが、何かと否定的に話題になりますが・・・・・そして私自身も、いくつもいくつも学校や、教師についてだめだしをしているところですが・・・・しかし、一面やはり大きな役割を果たしていることも事実で、生徒・学生にとって、時には保護者、校区にとっても先生との出会いもまた大きな意味を持っていると思います。
- 2016/07/11(月) 00:00:59|
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