つい最近、ついに長く履いていた靴を廃棄処分した。その靴は晴れの日も雨の日も、自動車で出かけるときも自転車の時も。
散歩のときもレストランや音楽会に行くときも、いつでも履いていた靴。
腕時計だって「着替える」時代になんて不精でおしゃれに気を使わない、あるいはエチケットを無視したことよ、という声が聞こえそうですが。
そして「靴がかわいそう!」

撮りたてて個性的なデザインでもなかったけれど、とても気にいっていたのです。とにかく履きやすい。
丈夫でしたしね。それで靴底を二度張り替えました。張り替えれば当然履き心地も変わってしまいますし、元の様にとはいきません。それでも・・・。

「 そうして大切に履いていただいたのですね。」
前の靴を買い求めたお店にまた行きました。
話はややこしいのですが、廃棄したのは先代の靴。ここしばらく履いているのは別のもの。その現役の靴も又すっかりすり減ってかかとが傾いてしまいました。
傷みが目立つので「仕方がないので新しい靴を」と相談に行ったのです。
その時に相談に乗ってくれたのがこの人。

「写真はどうも苦手で。いつも目を閉じてしまうんですよ。それにあまりいいようには写らないことが多いし・・・。」と後ずさりするのを、お願いしました。
顧客の立場を利用したパワハラになるのでしょうか。そうだとするとまずいなあ。

私は元来、革の底の靴が好きなのです。履いて歩いた時の靴音ととそれが体に響く感じがなんとも心地いいからです。
合成樹脂のものは耐久性があり、修繕もしやすく、靴音も静かですが、つまらないのです。
で、実は今回廃棄することになった靴の痛みが激しくなってきたときに奮発して革底の靴を別の店で購入したのです。
ところが「しばらくすれば慣れますよ。」と言っていただいていたのに「痛くて」履けないのです。それが靴箱の中でほこりをかぶっている状態なんです。
「持ってきていただければ状態を見ますよ。できることはやってみましょう。」

写真を撮るときに目をつぶる、「写真写りが悪い。」と固く信じている人が案外いるのですね。
そういう言葉を耳にすると俄然挑戦心がわくのです。
殊にこういう誠実に仕事をする人は撮りたいので「大丈夫ですよ。」と頼み込んでしまいます。

ワンカットぐらいなら我慢してみようと思われたようですが、写真の話をしているうちに「まだ撮るのかなあ。」

お店の中が暗くて・・・・この日は外も曇り空で反射光も入ってこないので、なおさら・・・・露出がひどく合わないのでダメ!というものも含めて目をつぶっているものはありませんでした。
靴が悪いと疲れますし、変な刺激を足裏に受け続けていると情緒的にもよくありません。姿勢も悪くなり、歩き方も美しくなくなります。ですから良い靴を選びたいのです。
そしてそれを履きつぶすまで履きたい。
今回もこのお店で購入してしまいました。
そして傷みが激しい現役の靴は底を張り替えてさらに履きます。
それで先代の、中国にもイタリアにもついていってくれたこの靴がようやく退役となりました。
- 2016/07/10(日) 00:00:58|
- 働く人々
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靴は、今まで数回底を張り替えて履いていました。
過去形となっているのは、病のため現在重い靴が履けなくなってしまった事。
数年前にオーダーしたチロリアンも数回履いただけで、靴箱の奥に仕舞ってあります。
今は靴を修理していただけるお店が減っております。
若い方が就労していらっしゃるのは、心強いですね。
- 2016/07/10(日) 08:51:36 |
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最近は靴工房というようなお店がちらほらあります。そこでは靴についての新たな知見とデザイン性を体現させた靴を作ろうとされている若い方たちの姿も見えます。
私のような世代の感覚とは少し違うことがありますが、それはそれで現代化の波として認めていきたいです。
ただ一方クラシカルな靴についてもその良さを知って職人になろうとする若手も、多いとはとても言えませんが、ちらほらおられるようです。期待したいものですね。
ただ一般的な消費意識と同じように靴底を張り替えてまではき続けようとする人は少ないようですし、またそれに耐えられる靴は高価です。
豊かさとは何なのかを考えさせられる面を持っています。
- 2016/07/11(月) 09:40:46 |
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