トランペットはなかなか年季の入ったものでした。
高校の時から使っているんだそうです。

昨日この人の郷里のことなどを書いてしまいましたが、
私がこうして偶然に出会って写真を撮らせていただいてきた人たちには・・・・・当然のことですが・・・・皆さんそれぞれにこの時までの生きてきた経過をお持ちです。
私はそういう事までもお話しいただくわけではありませんから、あくまでその時に見せていただいた姿をそのままに受け取らせていただいているわけです。
それで「懐かしい曲を上手に吹いている、羨ましいなあ。」とだけで近づいているわけです。

しかし、その人がこの場所でこの楽器でこの曲を・・・・という事にはそれなりの「理由」がある訳ですよね。
それはまた私自身がいい年をして日がな一日カメラを担いで写真を撮っていることにもそれなりの、大して重要でもないわけというものがあるのです。
そして、その人を見つけて、お話をして「じゃあ、撮ってもらってもいいですよ。」となるのには、これまたそれなりの訳があるのだと思います。
それで「一期一会」が成り立つというのでしょう。

それで、こうして一枚の写真がこの世に実在することになるわけです。
これって不可思議のような貴重なことだと思います。

私の写真は決して決して大芸術ではありませんが、上のように考えてみると、あながち無駄をしているわけではないなあとも思えるのです。

「あながち無駄ではない」としてもどれくらい価値があるのかと言われると、はてさて・・・・。

もう少し取り続けていれば、その辺のことも多少は見えてくるかもしれません。
かも、ですが。
- 2016/07/09(土) 00:00:55|
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