花の無い季節などに仏壇に彩を添える。
それにしてもここまで見事に描かれていると火をつけるのが忍びないなあと思いますね。

でもまあ、世の中にはそういうものもありますよね。
花火もまた火をつけなくては始まらないし、ぱっと開いた見事さとっておけないし、氷の芸術も解けちゃうし・・・・。
舞台背景は解体されちゃうし。

永続的であるというものにはどんなものがあるんでしょうか。
美は儚さの中にある・…とは言ってみてもなあ・・・・。

その点、写真はいくらか保存性がありますね。
けれど、PCの中やハードディスクの中にあっても人の目に触れないのでは、ないのと同じですしねぇ。
演じられないシナリオ、演奏されないスコア。

今、作業机の前に小学低学年の女の子がじっと職人さんの描く絵を見つめています。先ほどからお母さんが促しても動こうとしません。
「絵を描くのが好きなのかな?」 職人さんが手を休めずに聞きます。
「うん。」
「どんな絵を描くのが好き?」
「いろいろ。」
きっと深い印象を残すのでしょうね。

大人の仕事をじっと見つめる経験、そういうことが現代では少ないですしね。
危ないよ。邪魔だなあ。さっさとしないさい。
そういう言葉で取り上げられていってる「子供の」時間かも知れません。

「後だしじゃんけん」 弐題
東京都知事選ではこれまで「後だしじゃんけん」が強かったと言われています。
それで自民党などは候補選びや公表をそうしたことを計算に入れて進めるんだそうです。「評論家」たちはその「後だしじゃんけん」がとても重要な要件ででもあるかのように、こうした穿った考えができるのも「専門家ならでは」といったしたり顔で「解説」しています。
つまりは自民党などの候補者は自分の政治理念や政策を有権者に訴えて理解・共感を得て知事になろうとするのではないのだという事です。訴えの時間が短いほうがいいなどと言うのは、化けの皮がはがされないうちにゴールしようという計算もあるということに他なりません。
今、(自民党にとってみれば)フライング名乗りを上げた女性なども「後だしじゃんけん」で勝つとかまけるとかは良くないと言いながら「党公認・推薦」にばかり気がいっていて、そもそもなぜどのような政策を引っ提げて知事になろとしているのかという事などそっちのけです。
前知事が都民ばかりでなく国民的顰蹙を買って辞任した事態に対する明確な態度も示さなければ、政治資金についての前向きな発言もありません。そもそもそういうことを争点をする気もないようです。
参議院選挙に影響してはいけないので党の態度は参議院選挙後にするんだそうです。プラスの影響を予想していないことは明確ですね。
また、都民に対してもも「後だしじゃんけん」で注目させれば勝てるんだ、お安いものだと見られているわけです。東京でも大阪でもタレントや小説家が、知名度や話題性で当選するのが通常です。それでも飽きもせずにマスコミは「有力候補」にそうした人を列挙します。
例えば政治資金に対して明確な姿勢と清廉さを期待させる人を注目して取り上げるなどという事はしません。
「後だしじゃんけん」は日本の民主主義の未熟さを表したものでしょう。
さて参議院銀選挙は終盤ですが、マスコミはほとんどその政策的な論争を正面から深く取り上げていません。
盛り上がらない、争点がかみ合わないなどとまるで他人事ですが、せいぜい取り上げるのが18歳選挙権の事。それも学校が生徒の政治的判断や、行動を当然のような顔をして制限していることを批判的に取り上げて、政治的自由を確保しようとするのではなくて、ただただ18歳選挙権おめでとうという調子のものが多い。そんな呑気な事態ではないのに。
民進党や共産党が一人区で統一候補を出した。これは日本の政治史上大きな問題だ。民進党が「溺れる者が藁を掴んだ」「貧すりゃ鈍するだなあ」「野合だ」というのはそれはそれでいいとして、仮にそうだとしても野党第一党で、かつて政権を握ったこともある政党が「藁」あるいは「白アリ」にすがってしまっているわけで、それならそれで重大問題なのだから、それが全国でどういう事態になっているのか追跡するのは当然であろう。党首がそろって街頭演説しているなどという表面的な報道など何の役にも立たない。
自民党総裁は「共産党と結んでいる」というそのこと一つでとにかくあり得ないほど悪いことだといっている。
だがそんなに悪い共産党とさえ組むという判断は、そんなことをいていられないほどの事態になってしまているという危機感が民進党にあるからだろう。共産党だって安保を完全には否定せず基本的には日米同盟論に立っている民進党と結ぶんだから、それはそれで大事だ。
しかし、そもそも憲法を守ろうとせず、憲法に基づく政治≒立憲政治をないがしろにし、国会を軽視して解釈改憲というクーデターをする政治に対して、民主主義の本筋を守ろうと結束しているというのだからそれはそれで筋が通っている。日米の安保条約の全体についての可否だとか、自衛隊の存続か廃止かなどとう事ではなくて、そういう・・・・共産党的に言えば違憲と判断されることであっても・・・ことが、これまではともかくも憲法の条文と曲がりなりにも整合性をとろうとしてきた法制局の見解さえも、長官のすげ替えなどで強硬するやり方はもはや『法治国家の態をなしていない』と言っているのだ。
そうでないというのならそこでそういう論争をしなくてはいけないのに、敢えて争点外しをしている自民党におもねって争点の整理さえしない。
TPP問題にしろ、沖縄米軍基地問題にしろ、消費税問題にしろ、「アベノミクス…これがなにか首尾一貫して経済政策であるかのように言うこと自身私には滑稽なのだが」・・・・それらを自公と民進・共産などで毎日2,3時間選挙戦の間中全放送局で討論射せてもいいくらいのものだ。
それをしないならマスコミ自体がきちんと論点を整理し相互の主張を繰り返し伝えるべきなのだ。むろんそこにマスコミ自体の調査や検証が解ってしかるべきだろう。有権者の意見や質問がまじえられるのも当然だと思う。
そういうことをしないでそれを報じてもどういう民主主義の成長に結びつくのかと言う様な愚にもつかない政治家の思惑ばかりを何か重要なことのように報じていたり、猟奇的な事件やタレントの不倫事件なので大騒ぎして時間を埋め、伝えない、知らさないという風にして責任放棄をしている。そして果たしてどのような社会的意義があるのかわからない世論調査をして、選挙を単なる見物的な「予想」に化してしまう。
選挙結果が出てから「実は・・・・」「こういうことが議論されるべきだった・・・」「こういう結果になったのは」という解釈をいくら精緻にやって見せてもそれは「後だしじゃんけん」にしかならない。
当確をいち早く出そうが出すまいがそんなことはせいぜいのところ30分一時間の差であって、24時間後にはすべて明確にわかることだし、それで何の支障もない。それより開票や集計の公正性が担保されるような監視責任をこそマスコミとして果たすべきだ。
選挙期間中にマスコミがなにかを報ずれば・・・・どれかの党派の利益不利益になることは明確だ。それが大概政権与党を利することになるのではというのが日本の現状で、そこにマスコミの病弊があるが・・・・影響は大きい。しかしそれを公平性の名のもとにだんまりを続けて政権からにらまれないようにしているのでは存在価値がない。
マスコミの後だしじゃんけんは今に始まったことではないが、今回の選挙はそれが一段とひどいように感じる。
どの政党が優勢だとか劣勢だとかではなくて、論争すべきことをキチンと国民の前で議論させ、議論に対する検証を独自取材で行う、そういうことをマスコミがやらなくて誰がやるんだろうか。
- 2016/07/07(木) 00:00:33|
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