ヨーロッパをはじめとする海外で、数年間「大道芸」をしてきたといいます。
ま、大道芸とは言わずストリート・パフォーマンスというのでしょうか。
先日もある場所で、まるで作り物の像のようにじっと動かないという『ストリート・パフォーマンス』をされている青年がいました。いえ、この芸は動かないと見せて突如わずかに動いて、「あっ動いた!! 人間だったんだ?!」というところにも肝もがあるパフォーマンスですね。
この写真は、この後たくさん続く写真の最後に撮ったもので、「じゃあさようなら。、頑張ってね。」の直前です。

対岸からしばらく練習の様子を見ていました。
水晶玉を首の後ろを通す時に、たま~に失敗して、その時に、背後で落ちていく球を振り返りもせずに確実にキャッチしているのを見て、これはかなりの練習量だなあと思って近づいたのです。
右の腕から首の背後を回らせて左の腕に・・・・水晶玉を転がします。
腕には筋肉の凹凸がありますから「難しいのでしょう?」といいますと
「皮膚感覚ができてきて球をコントロールできるようになりますから・・・。」との答え。
通常、私たちの指先などは大いに鋭敏になっていますし、長年の様々な動作体験で巧緻性が高まっています。

芸達者や職人技というのは、そういう通常人々が獲得する鋭敏さや巧緻性をはるかに高めるのでしょうね。
しかも通常の生活では獲得しないか所に。
バスケットボールやサッカーのプレーヤーでも同じですね。
体中にいくつものセンサー、目があるのじゃないかというプレーを見ることができます。

逆に日常私が経験することとして、現代の多くの人はこの皮膚感覚が「ダル」な状態になっていると思うのですね。
まあ、この事を話題にすると愉快でないことをたくさん書くことになってしまいますので止めておきます。

この人は数年の間、外国を、このパフォーマンスを引っ提げて歩いてきたのだそうで、それで生活をしていたのだけれど、あるアクシデントがあって「一時的に帰国した」のだそうです。
「痛いアクシデントでしたねぇ。」

で、生まれはお隣の県なのですが「京都の方が観光客など人も多いですから」と
四条辺りでパフォーマンスをしているんだそうです。

なじみのお店です・・・・とでも言えればいいのですが。

上七軒では電線の地下埋設が完成して空がすっきりしているのですが、
どちらが良いかは好みに依るようですね。
上空があっけらかんとしているのも、何やら情感に乏しくなるような・・・。
- 2016/06/06(月) 00:00:10|
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