このところネット上で様々な写真家たちの活動の様子を見せていただいています。
当然のことながら世界には一生懸命に心血を注いで、写真について考え、撮っている人たちがたくさんいます。
そういう人たちの姿を見ると、何だか熱くなってきます。

むろんその人たちの見ていること考えていること、そして生み出される作品の質は、私と比べるべくもない高みにあります。
が、そうして写真と言うモノの世界が、多くの有能で高い意識を持った人々が探求に値する世界だと感じるだけでうれしくなってきます。

それにしても驚くのはキャンディッドという手法を受け入れる人々の意識の彼我の相違や、『異常』さやマイノリティーなどへの共感力の違いでしょうか。そして社会性への意識の濃淡です。
写真も社会という海に混じっている泡の一つだという事です。

先日、ある絵のグループ展を覗いた時のことです。
入り口で記帳をしていると出展者のお一人だろうと思われる同世代の方から声をかけられました。
「やはり絵を描かれますか?」
「いいえ、私は描く方は・・・・・。」
「そうですか、描かれないのは(絵を描く作業が)面倒だからですか?」
「?!?!?!」
「何をされているのですか?」
「写真を撮って楽しんでいます。」
「健康にいいでしょうねぇ。足腰が鍛えられて・・・。」
「ええ、まあ。」
・・・・・・・・・・・・・
8月下旬に京都ファインダー倶楽部の写真展がありますが、その時の出展作品の一枚にしようかなと言う気になっている写真です。
少し息を吸って緊張のある様子です。
といっても今度参加するにあたってのコンセプトはまだ決めていないのですが。

こちらがいいかな。



他の花街に比べて何とはなしにたわしが親近感を感じている宮川町。

舞妓・芸子はあまり撮りません「後姿を借りていいですか?」と声をかけて
・・・背中だけでいいんですか、撮っていただいてもいいですよ、という反応したが・・・・・
- 2016/06/04(土) 00:00:06|
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