写真について余り知識も技術もない私ですので、いくらかでも吸収しないといけないと思い、時々ネット上で世界の写真家たちの作品や撮っている様子を見せていただきます。
町撮りの「キャンディッド」の面白さを感じ始めました。
海外ではともかく、日本ではキャンディッドなどやろうというのは、まさに「時期が悪い」というか、極端な言い方をすれば「時代錯誤」ともいえましょう。
リスクが大きすぎますよね。

でも実は私は、これが前から案外好きなんですね。
写真の特性が生かせますものね。
そういいながら他面では、・・・・このfcブログでもそうですが・・・・世間には目に余るほどひどいのが多いので、日本ではキャンディッドなど滅ぶのも仕方ないなと思っているというのも正直なところなんです。

町の公共空間に現れた人々の暮らしや動態を掴むというのは魅力的なことだと思うのです。
社会派ぶらなくとも、人に対する興味がありさえすれば撮りたい気持ちになるのは自然かもしれません。

そして人々の一見何の脈絡もないような動きを映像的・美的に、あるいはその人生的なまたは社会問題的な意味、質を一気に浮かび上がらせる写真なんて素敵じゃないですか。
そういうことができればの話、ですが。

そこまで大上段に振りかぶらなくとも、ほほえましさや、やさしい気持ちになる場面、少し心が弾んだりする場面、悲しさや辛さに共感して分かち合いによってその辛さを軽くする場面など色々あるはずですよね。

人を撮るという基本の幅を少し広げてみようかななどと思うのも、そう悪くはないかな。

ただ、もしそうなるとどんな場面に触れて自分の感興が起こるかという事が大切な要件になってきて、ただ事実を伝えると言う様な言い訳ができそうにないですね。
自分が丸裸になるというリスクもあります。「怖いですねぇ。」

「恐ろしいですねぇ。」
先斗町です。

- 2016/05/27(金) 00:00:03|
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