大きなカメラバックを担ぎ、肩から一眼レフをぶら下げているから、それを記号にして、周囲の人が一応「不審」を解いてくれるのでしょう。
何も持たずに、ごく普通の格好で私がこの人と一緒に歩くと、向こうから来た中年女性たちに、かわるがわる見比べられ、この二人の組み合わせはいったい何だろう、それにしてもこちらのおじさんの釣り合わないこと!! といった目で見られてしまいます。
そういう「品定め」ともいうべき視線を度々浴びます。この組み合わせには、まあそれくらい違和感があるのでしょうね。
(相手がこの人でなくても同じことが度々ありますが・・・・。)
そういう意味ではカメラといいう『記号』はありがたい。
(そこに悪意や姦計があれば詐欺などの犯罪が生じるわけですが。)

ときにこうした顔立ちの人ですから、私との組み合わせに、少なくない人が「?」を抱くのでしょうが、また逆に、そうであればこそ町中でカメラを向けていることを納得してもいただけるのです。
こういうことは不思議な社会心理ですね。
(こういう大衆的心理を悪用して政治的誘導を図っている人たちが現にいますのでクワバラクワバラです。またぞろマスコミに顔を出している政界引退宣言氏などがその典型例でしょうか。)

「どこでそういう風な服を見つけてくるの?」
「天神さんなどの古着店で。」
あまり高い服を買わないんだそうです。

この人がにっこり笑うと本当に人形のようにかわいくなってしまう(「なってしまう」というのはおかしな言い方なんですが)ので、つい無表情に近い表情で撮ります。
何やら深い表現のようなポーズでもありますし、その可愛らしさに「にやけている」自分の心理を読み取られて仕舞わないかという、不安からも来ているかもしれません。
素人ですねぇ。

今度、ジム・マーシャルの写真展を見せていただけるという事ですので、しっかりと勉強してきます。
実際、世の中にはたくさんの桁違いな写真家がいます。
そういうものを見ないと、高さも深さも知らないで井戸の中で、何かしているような錯覚に陥りますからね。

そういう写真家とどれだけ大きな距離があっても、幸いなことに、それを感じて絶望し、写真を投げ出すような若さもありませんから、その点は大丈夫なんです。
ああ、こういうすごいことを可能にしている人たちがいるんだと知れば、楽しいじゃないですか。

そのジム・マーシャル写真展は「写真の良さってどこにあるの? 芸術として存在し得るの?」という考えをお持ちの方と一緒に行くんです。
その人が誘ってくれているんです。
こういうところが大人ですね。
大人っていいなあ。
- 2016/05/16(月) 00:00:07|
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