木彫作家として利き手が不自由になれば、それだけで落胆は尋常なものではなかろうと思う。
こんな道楽写真愛好者でも、万が一視力を失えば、どんなにか辛いと思う。

私が「写真を撮らせていただけませんか?」と声をかけさせていただいた時には、瞬間、逡巡された。
その時,、奥さんが強く「撮ってもらったら?! 私も写真がほしいから。」と促してくださった。
「孤独の作家」と書くのはふさわしくない、とその時思った。

ただ、・・・・私もそう思うのだが・・・人は、やはり本質的に孤独なんだと思う。
その孤独と向き合うからこそ、人を愛したいと思うのだろう。
その本質的な孤独に加えて、現代社会のありようや、その人の人となりからくる加重する孤独感もある。
私はこういう孤独感から目を背けたり、浮薄な興奮に誤魔化してはならないと思うので、この人の作品は一層心に響く。
記憶をたどって私とのほんのわずかな交流の瞬間を思い出してくださった。
言葉も不自由なので、歯がゆさを押して「2年前」と筆談してくれた。
2年前に会いましたよね。あの時のあの人ですよねと身振りで伝えてくれた。

力強い言葉だった。

作品の一点一点を紹介したいのですが、そうもいきませんから・・・。
作り出されたものと会話できる作品に出会う事は、そう度々あることではない。
だから私は幸運だと思う。

聞けば、私より幾分お若い。
まだまだ活躍の時間はある・・・・と自分にも言い聞かせながら。

おくさんをはじめご家族の支えやファンの期待に応えてこれからも良い作品を生んでいただけるものと思う。
そういう意味で、私が、川添さんの幾分御不自由そうな姿も撮ったのは、未来から今を見たからに他ならない。
- 2016/04/13(水) 00:00:30|
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