少し前に同じように扇子を作る方の写真をアップしました。
そしてこの方はずっと以前にも撮らせていただいている方です。もう5年も撮っていますから、こういうことが起こります。
たまたま観光で来られていたご婦人が一眼レフカメラに少々長いズームレンズをつけて、「撮らせていただいていいかしら。」と声をかけました。
「まあ、私でよければ撮ってもらってもいいけれど・・・。」

そこで、「私は以前この方を撮らせていただいたことがあるんですが・・・・。」
「エッ? そういえばそうかなあ。はっきりとは覚えていないが。」
で、「ご婦人に向かって一緒に撮らせていただきましょうか?」

この職人さんはとても気さくな方で、幾分照れながらも盛んにお話をしてくれます。
お客さんが舞妓や芸子のことを質問すると・・・・公然の秘密めいたことを話しますので、そして時々私に同意を求めてくるのですが・・・・・ご婦人は大層興味深く話を聞かれて熱心に撮影をされます。
扇子の親骨がずいぶん湾曲していますね。 この湾曲した力で扇子がパチンと強く閉じられるのです。そしてその扇子を開くには強い力が必要です。この扇子は舞扇ですが「私はもっとパチッとしたものを作りたいんだが、このごろではそれを開くことのできる踊り手が少ない。それでそういう注文がなくなって寂しい。」とおっしゃっていました。

「では、その親骨に挟まれた間の骨は『子(小)骨』ですね。」と突っ込んでみましたが、「いやこれは中骨だ。」そうです。
ご婦人が「やっぱりプロの方は撮り方が違いますね。」などと誤解されたことを言われるのですが、こうした場所で撮る回数は多少積んできましたから、いささか図々しくなれるのと、職人さんに接する感がいくらかできてきているからそう見えるのでしょうね。
そうでないといくらズームレンズで拡大するのと比べて寄って撮ったものの方がいいと言う様にはなりませんからね。

よく、人物を撮るときには85ミリくらいを使って被写体から少し距離をとると、・・・カメラが近づきすぎなくて・・・・人を緊張させなくていいと言われます。
もちろんそういう面がありますし、私もそういうことを意識することがあります。
でも経験上、快く受け入れていただけた職人さんにはグッと迫ったほうが良いと思いますね。
そうすることで「頑張って撮りますよ!」の気持ちが「良しそれじゃあこっちもいい仕事をしよう。」の気持ちにつながってくのです。

「自然な感じで撮る」「自然な表情」がよいとよく言われますが、そういうものをどう引き出すかは一筋縄ではいきません。
その「自然」のために本人にあらかじめ声をかけず、カメラを意識させないのがいいと言われます。で、隠し撮りを正当化する議論もありますが、そのことはまたさておくとして、カメラの存在を意識させない≒自然≒いい写真 という式はどんな場合にでも当てはまるのではないと私は思っていますし、私はこの「式」が日本のアマチュアの写真を停滞させている一つの原因になっているのではないかと疑っているのです。

親骨の長さを切りそろえています。
- 2016/03/23(水) 00:00:06|
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