無知とは怖いものです。
知らないことによってあるものを必要以上に蔑んで軽んじたり、あるいは異常に過大に恐れたり。
私は電子機器についてそれはもう悲しいぐらいに無知なのです。
PCもカメラもほぼ完全に「ブラックボックス」です。
自分のカメラには位置情報を記録する機能がついていない・・・はずな・・・のに、ある人が私の写真をネット上で見て、そこは「○○ですね。」「××で撮りましたね。」と指摘されているのを、その方が有能な「理系」の方だという事で、「きっと何かの方法で探知できるに違いないと思い込んでしまいました。しかし、それはいったいどういう方法に依るんだろうか。」と、その技術の存在に不安を感じたのです。(その方の意図についてではありません。)
少なくとも自分が知っている限りのことから考えて「分かるはずがないのに。」と思うので、なおの事不安が大きくなったのです。
現代技術が私のような人間の理解をはるかに超えていると言う事実がもたらす幻惑でしょうか。
少し落ち着いて考えを巡らせば、私が撮影した場所をある程度特定するには「文系」的にもいろいろな情報を探索できるにもかかわらず、そこに考えが及ばないのです。パソコン上の事は私の知識を越えているという事実が思考を停止させ、そこから妄想を拡大してしまうのです。
今の政治状況を見ると、そういうような心理を巧みに操作されているなあと思うことしきりです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、この方は波切不動尊をお守りしている行者さんです。
杉の林は葉や枝が落ちてそのままでは荒れてしまいますし、不動尊をお祀りしているお堂もそこへの径も埋もれてしまいますから、日々保守を怠りません。

数年前まで私が住んでいたところは家を出て数分も歩けばこうした杉林の山でした。
そこは手入れする人もなく荒れ放題で、倒木も多かったのですが、この付近は見事にきれいになっています。
普段の手入れのたまものですね。

この方にとっては、こうした奉仕自体が「行」なのでしょうね。

最初「写真を撮らせていただけますか?」とお尋ねした時には、レンズの前に腰を下ろしてくれました。
別の方が「自然に何かをしているところを撮りたいのよ。(だから特別にしなくていいのよ。)」とおっしゃってくれて、
ですから今度は作業の手を止めないでいつものまま・・・。

黙々と作業を続けておられます。
こうした行者さんの奉仕の姿を私は今まで見たことがありませんでしたから、とても興味深かったのです。

お話を伺うにもこういう世界で使われる言葉を知りませんから、何か失礼なことを言ってしまっているんじゃないかと、不安でなりませんでした。
仏事・神事について、私はほとんど何も知らないのです。

人の世界は広い。
知らない世界で人々は様々な活動をしておられる。

「ありがとうございました。」
「なんのなんの。また来てくださいよ。」
- 2016/02/20(土) 00:00:14|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
初めまして
たびたびお邪魔しています。
昨日今日は自然な感じが伝わってきてとても素敵です。拝見させていただきありがとうございました。
miya
- 2016/02/20(土) 12:08:23 |
- URL |
- miya #11MmKJpc
- [ 編集 ]
ご覧いただきありがとうございます。
ふと訪れた山の中腹で出会った方たちでした。
人が自分に作る「物語」はとても多様なんだと思います。人間て不思議な生き物だなあと、思います。
それだけ多様で幅広い存在ですから、出会いがまた楽しいですね。
- 2016/02/20(土) 22:01:39 |
- URL |
- soujyu2 #-
- [ 編集 ]