私は、卒業式の日、「答辞」を読むと、式後、散開した友人たちの何人かが連れ立って、法然院にある河上肇の墓参に行くというのを羨ましく見送っり、一人全く別の道を歩きました。
実はこの時に、また別の思いをもって仲間の背中を見ていた友人もいたのですが、そういうことに思いが思いが及ばないほど若く未熟だったのです。
青春期というのは[愚かで、やるせない」ものですね。

そう思いますから、こうした学生たちの姿を見るにつけ、応援と叱咤の気持ちがわくのですね。
それでそれを写真を撮るという事に結んでいるのです。 私、本人の「つもり」としては・・ですが。

この人は京都に残りますから、きっとこのギャラリーの企画でも、また大学の制作展でもお会いすることがあるでしょう。

私の大学生活を思い起こすことのできる写真はわずかしかありません。
他の人の写真は撮ったのですが、それらは手元になく、自分の写ったものはごくごくわずかです。
職場での生活も同様です。
カメラを持っている側というのは得てしてそういうものですね。
こういう情景を、記憶だけでよみがえらせることは難しいと思います。
写真だからできますね。

同じころ別のギャラリーでも、4回生が仲間たちと展示会をしていました。
この人はなんと私と同じ地方の出身でした。
「遠州の空っ風」に吹かれて登校した経験の持ち主です。

その人が京都で4年間を過ごして、また郷里に帰っていく。
ある種の感慨がありますね。
そして、この人は一緒に作品を出しているお友達。
- 2016/02/17(水) 00:00:30|
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