写真展の4日目です。
会場直後には、まだ早い時間帯ですからお客さんはあまりありません。
ですから来られたお客さんとはゆっくりとお話しできます。
お招きしてきていただいた方ともつい話し込んでしまいます。
そんな時に初めて来場くださった方に十分配慮できなかったのではと心配なこともあります。ご無礼がありましたらお許しください。
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この人が将来どのような写真を撮るのか、ちょっと心配で楽しみです。
というのも私などより、ずっとずっと実存的な世界観というか心理をお持ちだからです。

こうして撮っているという事は 間近にカメラがあるという事です。
仰々しい一眼レフカメラですから圧迫感もありましょう。 でも、・・・・。
(前回にも書きましたが、決して経験上撮られ慣れているという人ではないのです。)

揺れ動く幅も大きいのでしょうが、芯の強さを秘めている人なのではないかと、聞かせていただいたお話を含めて、思いました。
大学の2回生ですから、19歳か20歳なのでしょうか。
私自身が2回生だった時の同級生の女子と比較すると、いろいろ思いますが、今の私から見れば・・・・当たり前のことですが・・・・とてもとても若いのです。
話の中身とはギャップの大きい、少女的な空気をとらえようとしてみました。

自分もこんな風にアンバランスだったのかなあと。
むろんこのことを否定的に見ているわけではないのです。成長・変化とはアンバランスの事でもあるのですから。

モノクロからカラーです。


後日、この人からいただいたメールです。人物写真の可能性の一面を、とてもとても魅力的な言葉、文章で表現されていますので、ご本人のお許しを得て掲載させていただきます。
「・・・・・。
撮っていただいたお写真、どきどきしながら全て見させていただきました。
正直、自分とは思えない、自分が全く知らなかった自分が写っていて、目から鱗が落ちるような感覚になりました。あまりに感動的で、本当に自分なのか何度見ても信じられません。それ程に、撮っていただいたお写真の中にいる私は別人に見えます。それは本当に心を掴まれる、けれど言葉にするにはとても難しい、きらきらとした感情です。そっと宝箱にしまっておきたいような気持ちです。
自分の目はあんな風に瞬くこと、瞳がゆらゆらと動いていること、浅く呼吸していることがわかる口や、何より自分が、こんな風に笑うということ、初めて知りました。
私は自分の笑った顔があまり好きでありませんでした。コンプレックスと言えるかもしれません。
ですが、蒼樹さんのお写真の中で笑っている私は、まるで私ではない誰かのようで、でも間違いなく私であるということに、何か溶けていくような気持ちになりました。
本当に、本当にありがとうございました。
とても特別な時間を、宝箱のような瞬間をいただけたこと、感謝の気持ちがたえません。
また、いつかお会いできますことを願ってやみません。
素敵な出会いを授けて頂いて、本当にありがとうございました。
お名前」
です。
個展会場で。
今回の個展では、実に多くの方が具体的に写真を批評してくださいます。これまで『この年になると具体的な評価をしてくれる人がとても少なくて・・・・。京都のギャラリーではそういう傾向が強いとも聞くけれど。」などとこぼしていたのですが、今回は違います。
写真を撮る方はもちろん、絵描きさんも職人さんも、先輩たちからも若者からも様々な指摘をいただきました。
なるほどそのように見るのかという指摘がたくさんありました。私自身が意図したことを肯定的に評価していただく場合もあれば、気づいていなかったことを見つけていただいた場合も。もちろん否定的な評価もあります。
こうしてわざわざ自分をさらけだしているわけですからまな板に乗った「イワシ」としては、鯉に劣るとか、鯛ほどではないといわれるのは勿論のこと「めだか」のほうがましだと言われることも含めていろいろな視点から言葉をいただけるほど、やった甲斐があるというものです。
だからと言ってすべての評価をその通りと受け止めるほど人間ができているわけでも、また自身の思いが軟弱だともいえないわけで、「それはどうかな」とも思う時がないわけではないのですが、しかし、そういう事を含めて生の言葉を聞けるのはありがたいことです。
とにかく黙って帰られる方のほうが少ないというのは本当にうれしいことです。
人を、しかもたくさんの人を撮っていることについて肯定的に評価していただけているという事は心強いことです。
- 2015/12/11(金) 00:00:34|
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