最早、「目にはさやかに見えねども・・・」なんて段階ではありませんが、この写真は少し前のものです。
秋の気配が幾分進んで風もさわやかになったころ、、、
嵯峨野には、JRや京福電鉄、そして市バスを使っても行けます。
嵯峨野とはもともと険しい荒れた土地だったことからの名称だともいわれます。ですがこの辺りは平安期以前から秦氏が開墾してきた土地で近在には田畑が広がっていたのではないかなどという気もするのですが・・・時の移ろいで変化もするし・・・・・。
嵯峨野といえば竹林です。

この道は音戸山に続く道ですが、有名な嵐山のふもと、野宮神社から大河内山荘や辺りの竹林より人がずっとが少ないので 静かに散歩できます。
写真で見るとなんだか人里離れたような雰囲気ですが、しばらく行くとユースホステルがあり、一般住宅、豪邸も見られます。

学者、文化人、職人さんたちが多くお住まいです。
ずっと昔、平和運動をで地域の人と若者で学習会をしようと呼びかけ人や参加者、そして講師を探したことがありましたが、20代の私が十分すぎるぐらい気後れのする方々がお住まいでした。
著作や講義を通じて知っているだけの「雲の上」にいるような方が、玄関の引き戸を開けて、親切に気さくに話を聞いてくれたり、「どうぞ中にお入んなさい。」と招き入れてくださったりしたことを思い出します。
まあ、私にも若い時代がありました。

と、ここからは仮想世界へ・・・・・・。
「自意識過剰な分、そうした人たちに対する畏敬の念が強すぎて、別に権威主義的に膝を屈するのじゃないけど、委縮するところがあって、それが弱いところだったねぇ。」
「学生時代に私の両親ともこの辺りを歩いたんですか?」
「そう、確かあいつとは何度かこの辺を歩いたね。貴ちゃんはどうだったかなあ。」

「もっとも嵯峨野の竹林を歩くなんて言う風情のある歩き方じゃなくて、この先の友人たちの下宿にオルグに行ったりしただけのことだけどね。
だから何となく薄暗い印象が記憶に残っているだけさ。」

「そうだね。イタリアやフランスを歩いてスケッチやスナップをしていると日本に帰ったらこういうところを歩いてみようという気持ちが強くなるよね。僕もそうだった。
君から誘いのメールをもらったときスケジュールを確かめたら、今日この日が空いていたのは幸運なことだったよ。
おや、どんぐりかい?!」

「あいつがさ、綾は日本に帰ってきても家にじっとしていなくって、あれを見る、あそこに行くって、ゆっくりはさす時間もないってぼやいていたぞ。
時とには彼奴に付き合ってやらないとね。」
「私の勉強や作品にはずいぶん関心を持ってくれていて、この前の写真展にも初日に来てくれたんだけど・・・。」
「そうだってね。
貴ちゃんが、そんなにうきうきと行かなくもいいのに、まだ、駆け出しの学生の写真展じゃないのなんていってからかったらしいけど、聞かなかったって・・・・。」
「はい。たまたま知り合いのギャラリーの方から、2月だから空きがあるし、やってみたらとお話をいただいたので、向こうを離れにくい条件も理解していただいて、最終日だけの在廊という形で、生意気だったけどさせていただいて・・・・。」

「それであいつ、君の代わりにずっと在廊しかねなかったんだって?!」
「そうなんです。うれしいんですけど、やっぱり父は私に甘すぎますよね。」
- 2015/11/07(土) 00:01:52|
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