「写真を撮らせてくれませんか?」
その言葉が唇を割って出るまでには、ひとしきりの葛藤があるのは今も変わりません。
むろんこうした活動を始めたころに比べれば、『断られる』ことに対する開き直りというか、まあ普通はそうかもしれないなあという感じは強くなっているかもしれません。
でも同時に、「四の五の言ってると片足が棺桶に入っちゃうよ。」と自分につぶやきもします。
人との間にある壁を越えるような小さな勇気が持てるのは、「知らなかった人と話せるようになると、楽しい!!」ということを知ったことが大きいですね。
こんな方がいました。
鴨川の岸で一人ゆっくりした時間を楽しんでいるようです。

同じように岸で腰を下ろしていても、人によって醸し出している雰囲気は違います。
本当に心に鉛を沈めているような方は、近づけません.
なんとしても話しかけてほしくないような人もそれとなくわかります。

一人でいることを楽しんでいるような雰囲気の人でも、会話を楽しめる精神的な余裕もお持ちの方はそれとなく感じ取れます。

そういう方は単に『うらぶれている』というのとは違う、静かさの楽しみ方や陽の輝きの感じ方をされています。

関東から、あるつながりを機縁に京都に来ているのだそうで、これまでのお仕事とはジャンルの違う分野にも活躍の道が開こうとしているのだそうです。
その人がこの時その場にいるという事には、・・・・・・誰にとってだって同じことはいえるのですが・・・・ それなりの理由があるわけでして、私がこの方に声をかけるのにもやはりそれなりの原因・理由があるわけで・・・・。

断りなく写真を撮っていく人が少なくない中で、「わざわざ了解を得るべく声をかけて・・・・」撮ることをお願いしたので、ひとまずはいろいろのお話をすることができました。
実は最初は撮影を断られたのです。
私のスタンスは、断られたら潔く引くというものです。
強いてお願いはしません。 だってその人には私に写真を撮らせなくてはいけないどんな理由もないわけですから。
ただその後のお話で、私のこれまででの写真を見ていただく流れになり、見ていただいたら「撮ってもらってもいいかな。」という風に思っていただけたのでこの写真があるわけです。

たまたま鴨川では釣り人が60センチは超えようかという鯉を、長い時間の格闘の末に、釣り上げていました。
この後お友達との待ち合わせがあるとのことでしたが、これから活躍の世界が大きく開かれるかもしれないというタイミングでお会いしたのですが、大変聡明な方でした。
- 2015/10/23(金) 00:00:09|
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