モバイル端末から何を書くかを探すんだそうです。
こういうところでも世の中大きく変化してるんですね。 小さく映る文字は拡大して・・・・・・。

この日はたまたま対面にカラースプレーで絵を描く人がいて・…こちらは明るく派手な絵ですから若い女性が集まります・・・・、またフォルクローレのアンデス地方から来た人たちがいて。
集客条件は悪かったです。

私が高校2年生の時だったでしょうか、親しくしていた友人が突然、北海道の修道院に入ることを目指して旅立ってしまいました。
私たち数人の友人は、今日は君が旅立つけれど、明日は僕たちが己の旅に出るぞと、一緒に相当興奮しながら送り出したものでした。
彼の出奔は親にも内緒でしたから、周囲にはおおいに心配をかけました。
修道院は親の承諾もなく事前の了解もなしにやってきた「未成年者」を受け入れはしませんでした。それで彼はその門前付近のラーメン店でアルバイトをして入院ができる日を待ったのです。
その後引き戻された彼ではありましたが、親も学校も特にひどくは咎めはしませんでしたし、「共同正犯」の私たちに事情聴取もありませんでした。 私の両親も、彼のあまりに冒険的な行為に物心ともに援助した私(たち)を少しも叱りませんでした。 親としての心配と子への期待感を彼のご両親と共有していたように思います。
青少年とはそうして大きくなるものだと言外に支援されていたような気がしました。

自分で登るべき煙突は自分で探し、梯子は自分で見つけるものだ。
「子供の領分」があった時代だといえるでしょうか。 親たちの賢さを思います。

未来に対して怖じ怯え・たじろぐことは少しも恥ではないし、試みて失敗することもまた恥ずべきことではないと思います。

ただその鬱屈を他者への蔑みや罵倒の片言に隠すことが卑怯です。

彼は、歩いていくのだそうです。
そして時に人の好意に支えられて車に乗せてもらうんだそうです。
そして宮崎から福島へ。
何を思いつつ・・・・。
- 2015/10/22(木) 00:01:33|
- 書
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0