宮崎を出発して、ヒッチハイクを繰り返し・・・・。

でも、なぜ「書」で?

私は書に関しても全く素人なのですが、素人ながらかなり上手な字だと思います。
「どこで学んだの?」
「独学なんです。」
「じゃあ臨書を相当してきたのかなあ?」
「はい、中国の・・・・・・・。」

独学でこういう水準まで来れるんですね? ちょっと驚きです。
・・・・・・・・と、と・・・ 待てよ?!
独学を「どうせ大したことはなかろう。」という先入見を持って論じるという事は、自分自身にも知らずのうちに、どうせこの程度という限界を作ることだなあ・・・・と気づいて。

こういう「書」は売れるの? お客さんの寄り付きはどう?
「府県によってずいぶん大きく違う感じです。 例えば熊本では人がどんどん集まって買ってくれる人も多かったのですが、・・・福岡ではさっぱりで・・・・。」
「で、京都では?・…たぶんあまり足を止めないし売れないだろうなぁ。 殊にここ四条大橋ではほとんどの人が観光客だし・・・・、それに京都人は・・・・・。」
「あまり、というか さっぱりです。」

「これからどうするの?」
「寒くなって歩けなくなる前にはぜひ福島まではいきたいんです。」
「こういうことを始めるについてはご両親は心配しなかった?」
「いえ、親のほうがぜひやれと背中を押してくれたんです。 で、退職して歩き始めたんです。」

今日は良く晴れて気持ちのいい日なのですが、長い紙を広げるのには風が強すぎます。
先ほどからあれやこれやが舞い上がり跳んでいこうとします。なかなか落ち着いて書けません。が、それでもタイミングを見計らて書き続けます。
「紙だって安くないのに描き続けて売れないと困るね。」
「そうですねぇ。 」
青年の飛躍というものは、そういうことを・・・・小さなことではないけど・・・・自分を挫けさせるほどの事ではないと意識できるんですね。
だから青年は跳べるんです。

老いたるモグラも掘らねばなりません。
- 2015/10/21(水) 00:00:24|
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