早いものですねぇ。もう10月も後半に入ります。
毎日うっかり過ごしているものですから、気が付くたびに「えっ?! もう・・・・なの。」と思うのですが、それを繰り返してしまうところが私の弱点ですね。
秋の気配はどんどん深まって、京の山にもそこここに赤いもの黄色い一叢が目立ち始めています。
この時期は各家庭の庭木の手入れが盛んで、植木職人さんたちは忙しそうです。
我が家の「猫の額」はどうしましょうか。
というようなことはまた考えるとして・・・・・。
私の毎週のルーティンのなかにこのギャラリーを見ることがあります。
今週は、この人が個展をされていました。
金 基永 さんです。

作品は自転車や岩やバイオリンなどをボディーにして、それにタールのようなものでコーティングしたものです。表面はざらざらした質感と黒々した肌に・・・・何か光るものを配合しているようで・・・・・、キラキラした表情です。

4年間日本の大学の院に学び、今年の春に卒業して、現在も京都で活動しているそうです。
いろいろお話したのちに、事情を話して写真を撮らせていただくことになったのですが
「作家として撮りたいのですが・・・・・、今回の自信作というか、一番気にいっている作品はどれですか・・・・。」
「う~ん・・・・・・・、そうですねぇ。」
・・・・・・・・・
「一番うまくいかなかった、課題が残る作品はこれですねぇ。」
勿論、言葉が通じなかったから行き違ったのではありません。やはり作家としてただ成功したものに意識が行くのではなくて、心に残るのは「宿題」なのだと思います。
それで無意識にその作品に近づいて行ったのだと思います。

その心理は少しわかる気がします。
この作品は動物のぬいぐるみがボディーになっているのだそうで、それを樹脂で固め、さらにタール用のものでコーティングしています。
彼は「真実という言葉の『真』と『実』という事を考えているんです。」という事を繰り返し話していました。
その表現の一つの切り口として「書」の一筆、一本の線を表現したいというコンセプトの作品もありました。
日中韓には「書」という共通文化がありますから、その点はお互いに理解しあいやすいようです。

まだ試みは始まったばかりで、「ほんとにはじめの一歩です。」とのこと。
私も一知半解の感想ですが、率直な話をしますと、実に謙虚に耳を傾けてくれて、一緒にこのコンセプトの可能性について話し合うことができました。
次の個展がとても楽しみです。

中韓の若者の多くには高齢者に対する敬意ある態度がありますから、私などの話にも気持ちよく対応してくれます。
また彼らの作品には大きなエネルギーを感じますから、日本の青年作家たちにまま見られるテクニカルなモノよりも、もう一度それがなんであるかを見てみようという気にさせてくれます。

欧米のすべてを表現しきるような、見せつけるような、言葉を変えて言えば創作者が表現しようとするものを一義的に鑑賞者に受け取らせようとするような作品とはちがう、いわく言い難いものを表現するような態度が、この青年作家のもつ創造精神と我が国の伝統的なそれとに共通するものとしてあるようにも感じました。
「50年代60年代の人たちにとって『自然』なものと言えば木や土などであったけれど・・・・私は自然なものという事でそういう素材を追いかけてきたのですが・・・・私たちの年代の幼少期にはすでにそうしたモノに触れることのできる環境はなくて、アスファルトやコンクリートが「自然な環境」だったという事実があります。そこでこうした作品を作ったのです。」
作家たちは私たちにいろいろな気付きを提供してくれるのです。
- 2015/10/16(金) 00:01:47|
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