京都は伝統工芸の街でもあります。
これまでもそうした伝統工芸にかかわる方たちを撮らせていただきました。
この若い女性は「刺繍の修理」をされています。

この「刺繍の修理」は寺院などの様々な幕に施された刺繍の修理のことです。
ですから、百年をはるかに超えた刺繍の修理を請け負うこともあるわけです。
「どちらかと言えばここ数十年前の刺繍よりも100年以上前の刺繍のほうが、状態がいい場合が往々にしてある」そうなんです。

江戸時代のごく一般的職人の技量と現代の職人の腕とを比べると・…残念ながら、ごく一部を除けば・・・・・江戸時代の人のほうが格段に上という事が言えるのだそうです。
絞りの技術などでも、すでに過去の極めて高度な技のあれこれは復活ができないそうで、どうやらそれに似た現実があるようです。

これまでこうした神社仏閣の刺繍の修理という分野は存在しなかったのだそうで、こうしたことが仕事になり始めたのはそう遠い昔の事ではないのだそうです。
現代でも、刺繍をされている人たちの世界では、刺繍の修理などは刺繍の世界ではない、受け入れられないとされているようです。
ですから古びてしまった刺繍は修理されないで・・・・(神仏にかかわるものでありますから)捨てることもならず…朽ちるままに保存されているものがほとんどだといいます。

昔のような生糸を手に入れるという事自体が簡単なことではなくなり、こうした歴史的なものを修理保存することもなかなか難しいことになっています。
これからの保存のためにこの会社では糸は生糸ではなくて化学繊維を使っているようです。

自社の刺繍作品が修理されなかったのは、「神仏にかかわるものに鋏(刃物)は入れられない」という考えが影響していたとも言います。
私などからすれば、寺社経営のためにはどんなお守りも売り、祈祷もし、土地の一部を駐車場やマンション用に放り投げるような寺社がいつまでもこうした考えではいないだろうと思います。
それにこうした考えは、原始的蒙昧の世界です。

むしろこうした修理をきちんとすれば文化財としても命脈を保ち、過去の技術も継承されるというものです。
それに、寺社の檀家や氏子への過重な負担も軽減できるというもの。

この会社やここで働く技術者たちは良いものを過去の人々への敬意をこめてしっかりと残そうとされています。
決して新たなビジネスチャンスだとばかり考えての仕事ではありません。
それはこの会社の方のお話からも仕事ぶりからも感じました。
すでに技術が追い付かないために手の施しようがないけれどとても優れたものだけに、ただ捨てるのは忍びないというものを額に入れて店の壁に架けておられます。
その技術をリスペクトし続ける姿勢を示しているのですね。
仕事と言うものはこういうものでないといけないと思います。
- 2015/10/10(土) 00:00:32|
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